日経サイエンス  2023年11月号

ルールを破る素粒子

レプトン普遍性の破れを追う

A. クリヴェリン(スイス・チューリヒ大学)

ルールを破るときはドキドキする。特に長い間守られてきたルールならなおさらだ。

これは人生においてだけでなく素粒子物理学においてもいえる。ここでいうルールは「レプトンフレーバー普遍性」(以下,レプトン普遍性)のことであり,素粒子物理学の標準モデルにおける予測の1つだ。既知の素粒子とそれらの相互作用(重力を除く)のすべてを記述する標準モデルが確立してから数十年間,素粒子はそのルールに従っているように見えた。

状況が変わり始めたのは2004年,ロングアイランドにある米国立ブルックヘブン研究所で行われたE821実験がミュー粒子(電子に似ているが質量が大きい素粒子)のg因子と呼ばれる量の測定値を発表したときだ。その値は標準モデルの予測と異なっていた。ミュー粒子と電子はどちらもレプトンと呼ばれる種類の素粒子だ。レプトン普遍性によると,電子とミュー粒子は荷電レプトンなので,どちらも他の粒子との相互作用は同じだ(ただし,ヒッグス粒子に関連する小さな相違を除く)。同じでなければレプトン普遍性が破れていることになる。そして,予想外のg因子の測定値はそれがまさに破れていることを示唆していた。

素粒子が本当にこのルールを破っているなら,それ自体が興味深いのはもちろん,物理学者たちは標準モデルが自然界の究極理論ではなく,より優れた理論があるはずだと考えているので,その点でも非常にワクワクする。標準モデルでは,ニュートリノに質量がある理由や,宇宙の大部分を占めるとされる目に見えない暗黒物質の正体,初期宇宙で物質が反物質に勝った理由を説明できない。そのため,標準モデルは近似的な記述にすぎず,新たな粒子や相互作用を追加して補正する必要がある。そうした拡張は数多く提案されてきたが,正しい可能性があるのはせいぜいそのうちの1つであり,現時点では直接的に裏づけられたものはない。標準モデルのほころびが観測されれば,それは私たちが追求しているさらに高次の理論を照らす明かりになるだろう。


続きは日経サイエンス2023年11月号にて

著者

Andreas Crivellin

スイスのチューリヒ大学とパウル・シェラー研究所に所属する理論物理学者。

原題名

When Particles Break the Rules(SCIENTIFIC AMERICAN November 2022)

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