
みちのくの玄関口としてかつて賑わった東北本線白河駅。ホームに降り立つと豪壮な石垣と城郭が目に入る。約160年前の戊辰戦争で激戦地となった白河小峰城だ。戦乱が収まって約20年後の明治20年(1887年),建物が全て焼失し小高い城壁だけが残っていたこの地に,はるばる米国から皆既日食観測隊がやってきた。現地での約1カ月に及ぶ準備の末,日食当日を迎えるも雲が太陽を覆い,涙をのんだ。雲の向こうの黒い太陽に思いを馳せた観測隊一行が陣取っていた城壁の様子は今も当時とほとんど変わっていない。(文中敬称略)
当時の記録によると,明治20年8月19日午後3時45分頃,曇天の白河で皆既日食が始まった(ただし当時の標準時は江戸城本丸跡を基準としていたので,時刻は現在より約19分早い)。
「たちまちにして暗黒が周囲におりた。死の闇が城と町と周囲の野山とを包んだ。眼下80フィート(約24m)に町の灯火がちらつくのを見るほかは,南西の方に一条の奇妙な硫黄色の明るみだけが,この世の唯一の光を投げかけるものであった。誰も一語をも発しなかった。空気さえ動かず,あたかも大自然が我々の痛苦と不安とに調子を合わせていてくれるかのようであった。今や役に立たなくなった機械類は,大きな雲を背景に,その幻想的な形を黒ぐろと浮き上がらせており,気味悪い冷気が地上におりてきた。山々と田畑は見分けがつかなくなり,頭上の雲層はほとんど真っ黒と言ってよく,低い雷鳴が黒磯の方向の地平線で不気味に轟いた」(続)
続きは日経サイエンス2023年10月特大号にて