日経サイエンス  2023年9月号

特集:昆虫の知能

昆虫たちの頭の中 AI時代に考える効率脳

遠藤智之(編集部) 協力:神崎亮平 加沢知毅 名波拓哉(東京大学)

アシナガバチは仲間の顔を覚えて部外者を排除し,コオロギは負けた相手には二度とケンカを売らない。ミツバチは「0」の概念を理解している上に,足し算や引き算もこなせるという研究もある。こうした昆虫の賢さに対して,その脳はとても小さい。ニューロンの数でいえば,人間の脳は約1000億個だが,昆虫の脳は約10万で,わずか100万分の1ほどしかない。この米粒ほどの小さな脳を使って,昆虫は優れた能力を発揮している。

ハチが花粉を集めて帰るというありふれた行動であっても,巣の場所との位置関係を把握しながら花を探し出し,風雨や天敵といった障害を乗り越える必要がある。花粉を運ぶハチは現在のAIやロボットでも難しい課題を簡単にやってのける。昆虫は目まぐるしく変わる周囲の環境を知覚し,状況に応じて素早く判断をして自らの行動につなげているのだ。昆虫の脳は,小さくても複雑な情報を処理できる「効率脳」といえる。

最先端のAIと比べてみるとどうだろう。すっかり身近になった「ChatGPT」は,ネット上にある大量のテキストデータを学習して賢くなった。巨大なデータセンターを稼働させながら,この瞬間も膨大なエネルギーを消費している。昆虫はChatGPTのような自然な会話はできないが,その効率脳からはAIが消費するエネルギーを抑えるヒントが得られるはずだ。実際に昆虫の神経系を電子回路で真似た「昆虫脳チップ」の開発も進んでいる。

昆虫の脳を調べるということは,人間を含めた知能の本質に迫ることでもある。人間と昆虫を比べてみると,ニューロンの数には大きな差があるが,基本的な機能や形は共通している。昆虫とロボットを組み合わせた「サイボーグ昆虫」を調べることで,昆虫が想定外に対応する適応力を備えている証拠が見つかった。人間の脳では技術的に難しい脳全体の神経活動のシミュレーションも昆虫の脳では実現しつつある。昆虫の小さな脳は大きな可能性を秘めている。



再録:別冊日経サイエンス263『生成AIの科学 「人間らしさ」の正体に迫る』

神崎亮平(かんざき・りょうへい)
東京大学シニアリサーチフェロー。専門は昆虫の神経行動学。昆虫とロボットを組み合わせたサイボーグ昆虫を開発した。

加沢知毅(かざわ・ともき)
東京大学特任研究員。スーパーコンピューター「富岳」を使った昆虫全脳シミュレーションのプロジェクトを率いている。

名波拓哉(ななみ・たくや)
東京大学助教。専門は神経模倣工学。昆虫脳を電子回路で模倣した「昆虫脳チップ」を開発している。

サイト内の関連記事を読む

キーワードをGoogleで検索する

サイボーグ昆虫ファーブル生物知能カイコガプログラム行動スーパーコンピューター「富岳」コネクトーム可塑性昆虫脳チップホジキンハクスレーモデルPQNモデル