
あなたがパーティーを開くとしよう。軽食やBGMのプレイリスト,そして冷蔵庫にさまざまなビールを用意する。最初の客がやってきてビール6本パックを1つ冷蔵庫に入れ,自分用に1本持ち出す。次の客が到着し,ビールを数本追加して1本取っていくのをあなたは見ていた。さあ飲もう,と冷蔵庫を開けると,驚いたことにビールは8本しかない。意識して数えてはいなかったが,もっとあるはずだと探し回る。案の定,野菜室の傷んだロメインレタスの陰に数本のビールがあった。行方不明のビールを探す必要があるとどうしてわかったのだろう? 冷蔵庫の前で見張って本数を記録していたわけではない。正確に言えば,あなたは認知科学者が「数覚」と呼ぶ,簡単な計算問題を無意識に解く能力の一部を使っていたのだ。客との話に花を咲かせている間,数覚が冷蔵庫にあるビールの本数をチェックしていたということだ。
科学者や数学者,哲学者は,この数覚が持って生まれたものなのか,それとも時間をかけて学習されていくものなのかについて,長い間議論してきた。プラトンは,人間には生得的な数学的能力があると提唱した。17世紀にはロック(John Locke)がこの考えを否定し,人間の脳は白紙状態で始まり,知識のほとんどは経験によって得られると主張した。チョムスキー(Noam Chomsky)は言語に着目し,子どもには生得的な言語本能が備わっているため,体系的な教育をほとんど受けなくても,ほどなく第一言語を習得できるとの考えを示した。1970年代後半,認知科学者のガリステル(C.R. Gallistel) とゲルマン(Rochel Gelman)は,チョムスキーの仮説を数学の域にまで広げ,子どもは第一言語における数の単語を,人間が他の多くの動物と共有し生まれつき持つ前言語的な数え方のシステムに対応させることで,数を数えられるようになると主張した。
私たち著者は,人間が生得的な数的知覚力,すなわち数を見たり感じたりする能力を持っていると考えている。冷蔵庫を開け,ハイネケンのラベルを見て誰かがオランダのペールラガーを持ってきたと推測するようにビール瓶を指折り数えてその本数を推測したのではない。むしろ,瓶の形や色を知覚するのとほぼ同じようにその数を「見た」のだ。
続きは日経サイエンス2023年8月号にて
著者
Jacob Beck / Sam Clarke
ベックはカナダのトロントにあるヨーク大学の哲学科准教授で視知覚哲学分野のヨークリサーチ・チェア。クラークはペンシルベニア大学 MindCORE(アウトリーチ・研究・教育マインドセンター)特別研究員で哲学と心理学を研究している。2023年夏に南カリフォルニア大学の哲学助教に就任予定。
原題名
Born to Count(SCIENTIFIC AMERICAN March 2023)