
ニューウェル(Carter Newell)は,メイン州屈指の生産高を誇るムール貝養殖場のオーナー兼経営者だ。まだ寒さ厳しいある春の日の朝,私は彼と2人のスタッフと共にボートに乗り,近くのはしけに向かった。穏やかな汽水の入り江に係留された18×7mのはしけを,ニューウェルはかつて調査をした英ウェールズの海辺の地にちなみ,マンブルズと呼んでいる。マンブルズにつながれているのは鉄骨製の筏で,長さ15mほどのロープが何百本も取りつけられ,そのひとつひとつに成長段階の異なるムール貝が何千個もびっしりとついている。
スタッフのひとりがマンブルズから筏に乗り移り,収穫に適した貝のロープを見定めていく。ニューウェルはマンブルズに残り,5mのクレーンを操作してスタッフが指定するロープを引き揚げる。ムール貝は特大ブラシでロープから剥ぎ取られ,ステンレスの巨大なバケツに入れられる。別の装置で子象ほどもある大きな厚手のポリエチレンの袋に移され,そこからベルトコンベアへ流し込まれて洗浄,分別され,袋詰めされる。この不格好な装置は,ニューウェルが何十年も試行錯誤し,ついに完成させたものだ。
苦境にあえぐメイン州の水産業界にとって,収入を得る方法は遠からず養殖以外になくなるかもしれない。乱獲,寄生虫,海水温の上昇その他の脅威にさらされ,ほぼすべての商業漁業は急激に落ち込んでいる。(中略)かつて海洋産業で栄えていたメイン州の経済の先行きが思いやられる話ばかりだ。
天然魚の漁がひとつ,またひとつと衰退していくなかで,メイン州の未来は海藻や魚介類の養殖にかかっているのかもしれない。同州だけでなく海産物そのものの未来がかかっているという人もいる。
再録:別冊日経サイエンス261『生命輝く海 ダイナミックな生物の世界』
再録:別冊日経サイエンス256『生命科学の最前線 分子医学で病気を制す』
著者
Ellen Ruppel Shell
ジャーナリスト。本誌にはアルツハイマー病と大気汚染との関係について寄稿(日経サイエンス2020年11月号)。著書は「Cheap: The High Cost of Discount Culture」(2009年),「The Job: Work and Its Future in a Time of Radical Change」(2018年)など4冊。現在は「Slippery Beast」を執筆中。
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「水産革命 200海里の生け簀」,S.シンプソン,日経サイエンス2011年5月号。
原題名
Bold Experiments in Fish Farming(SCIENTIFIC AMERICAN May 2022)