日経サイエンス  2022年12月号

特集:ブラックホールの中をのぞく

情報パラドックス解決にブレークスルー

G. マッサー(SCIENTIFIC AMERICAN編集部)

物質世界におけるあらゆるものは,両方向に進むことができる。それは物理法則の最も奥深い特徴の1つで,空間と時間,因果律が持つ基本的な対称性によるものだ。物理系を構成する要素をすべて逆向きに動かせば,起きてしまったことを巻き戻せる。そしてこの巻き戻しに必要な情報は保存されている。

しかし厄介な例外が1つある。ブラックホールだ。質量が十分に大きな恒星が自重のため崩壊すると,その重力は際限なく強まり,物質を閉じ込めてしまう。その中に飛び込んだら二度と戻ってこられず,2個のブラックホールが合体したら再び分離することはない。

ブラックホールは外からはほとんど何の特徴もないように見え,その中に何が落ち込んだのかはわからない。ブラックホールは情報を保存していないように見えるのだ。この不可逆性は1958年に物理学者のフィンケルシュタイン(David Finkelstein)によって初めて指摘され,ブラックホールの情報パラドックスが浮上した。

この問題が「パラドックス」と呼ばれるのは,可逆である物理法則がなぜか不可逆的な効果をもたらす点にある。ブラックホールの情報パラドックスは,この世界についての物理学者の理解に深い欠陥があることを示した。自然界の大統一理論を追求する理由はいくつもあるが,情報パラドックスの存在は最も具体的な動機であり,他に手がかりが乏しい中,今後進むべき方向を示してきた。

情報パラドックスが提唱されてから60年以上たって,ようやく解決への希望が見えてきた。パンデミック前の1年間とロックダウン中の数カ月間,ある理論物理学者の共同研究グループが,この問題の理解に向けて大きな一歩を踏み出した。この数十年間で最も大きな前進だとみる人もいる。

彼らはブラックホールはその見かけに反して可逆的であるとの説を支持し,パラドックスの存在を否定した。それなら物理の理論に矛盾はなくなる。とはいえこの説は論争の的で,支持する人々が自ら認めている通り,せいぜいブラックホールの完全な説明のスタート地点に立ったというところだ。

続き日経サイエンス2022年12月号にて

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特集「時空と情報」,日経サイエンス2021年6月号。
ブラックホールと情報のパラドックス」,L. サスカインド,日経サイエンス1997年7月号。

原題名

Paradox Resolved(SCIENTIFIC AMERICAN September 2022)

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