日経サイエンス  2022年12月号

詳報:ノーベル賞

量子もつれ 実験実証 物理の世界観に変革

2022年ノーベル物理学賞

古田彩(編集部)

測っていない値は実在しない 
ベルの不等式の破れの実験は我々に常識の変更をつきつけた

20世紀に登場した量子力学は,主にミクロの世界で,日常の中では見られない奇妙な現象が起きていることを予言した。中でも量子もつれ(エンタングルメント)は,最も想像しにくいものの1つだろう。かつてアインシュタインが量子力学におけるパラドックスとして提唱した量子もつれは,繰り返し実験で検証され,現実に存在することが確認された。今では量子情報技術の実現に不可欠なリソースであり,宇宙のありようを理解する重要な手がかりと考えられている。

2022年のノーベル物理学賞は,量子もつれの存在を実験によって実証し,量子情報科学の緒を開いた米のクラウザー(John F. Clauser)博士,仏パリ・サクレー大学のアスペ(Alain Aspect)教授,オーストリア・ウィーン大学のツァイリンガー(Anton Zeilinger)名誉教授に授与される。(文中敬称略)

アインシュタインの懐疑
今から1世紀近く前の1935年,アインシュタイン(Albert Einstein),ポドルスキー(Boris Podolsky),ローゼン(Nathan Rosen)の3人の物理学者が「物理的実在の量子力学的記述は完全と言えるか?」と題した論文を発表した。彼らの狙いは,数年前に確立し注目を集めていた量子力学について問題を提起することにあった。

3人はまず,ある対象の性質を測定したとき,その状態を乱すことなく測定値を100%予測できるなら,これに対応する性質は「実在する要素」であるとした。そして完全な物理の理論は,あらゆる実在する要素について語らなくてはならないと主張した。

この考えは,量子力学における測定の考え方に関係している。量子力学によると,同じものを同じ方法で測定しても,毎回同じ値は出てこない。一定の範囲内でランダムに様々な測定値が立ち現れる。どの値がどんな確率で出てくるかは計算できるが,次に出てくる値は予測できない。「測定」というのはもともと物体に備わっている性質を知る手段ではなく,様々な可能性のどれか1つをランダムに選び取り,それを実体化する操作なのである。

アインシュタインはこれに納得しなかった。彼は「あなたが見ているときだけ月はそこに存在しているのか」と問い,物の性質は測定とは関係なくそれに備わっていると主張した。そしてあたかもランダムに見える測定値が必然的に選ばれる仕組みを加えれば,量子力学は完全な理論になると期待した。

3人は量子力学の問題点を示すため,2 つの物体を相互作用させ,性質が完全に相関した状態を考えた。

続き日経サイエンス2022年12月号にて

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