
2017年春,私は縁あってある学術会議に招かれた。最初は招待が何かの間違いに思えた。知り合いの知り合いによる紹介で詳細は不明だったが,興味をそそられたので,車と電車を乗り継いでダウンタウンのホテルに行った。そこの会議室をいくつか通りすぎたところでドアに掲げられた案内表示を見て,ひどい間違いがはっきりした。そこには「MAPS第3相会議」とあった。
第3相とは,医薬品の承認を得るための臨床試験の最終段階だ。大人数の被験者を対象に薬剤の安全性と有効性を確認する。臨床試験を実施するには果てしのない会議を重ねて準備をする必要があり,審査や機密保持,契約などについて何カ月も話し合う。そうした会議は人の紹介でふらっと訪れた科学者が割って入るようなものではなく,私はすぐに場違いだと感じた。
引き返そうとすると,誰かが会議室から出てきて私をじっと見つめた。彼女は私の名を聞くと,驚いたことに受付スタッフに向かってこう言った。「こちらの方に名札をお渡しして。事情は後でわかるから」。その日,私はこの精力的な人物がヤザール=クロシンスキ(Berra Yazar-Klosinski)という名前で,「幻覚剤学際研究学会(MAPS)」の最高科学責任者であることを知った。私の行動薬理学と臨床試験に関する経歴が彼女の興味をひいたようだった。そして会議の終わりには,私は重度の心的外傷後ストレス障害(PTSD)に対するMDMAの有効性と安全性を評価する第3相試験で彼女に協力することを約束していた。MDMAは「モリー」や「エクスタシー」の名で知られる違法ドラッグだ。PTSDはつらいトラウマの記憶にさいなまれる疾患で,米国PTSDセンターによると,米国で毎年1500万人以上がこのつらい障害に苦しんでいる。
著者
Jennifer M. Mitchell
カリフォルニア大学サンフランシスコ校神経精神医学科教授。カリフォルニア大学バークレー校幻覚剤科学センターにも所属。サンフランシスコ退役軍人医療セ
ンターの研究開発医局次長も務める。
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「幻覚剤を医療に」,R. R. グリフィス/ C. S. グロブ,日経サイエンス2011年3月号。
「ハイになって踊るタコ」,日経サイエンス2019年2月号News Scan 海外ウォッチ。
原題名
A Psychedelic for Trauma(SCIENTIFIC AMERICAN February 2022)