日経サイエンス  2022年10月号

特集:深海 新発見

地球の気候を左右する微小動物 夜ごとの大移動

K. H. カレッジ(SCIENTIFIC AMERICAN 編集部)

世界中の海で毎晩,米粒よりも小さい何兆もの動物プランクトンが水深数十mから数百mのところに集まって合図を待つ。科学者は長い間,これらの小さな生物は潮に流されているだけの受動的な漂流者だと考えていた。だが日没直前,この微生物の大群は海面に向かう秘密の旅を始める。

上昇する中でカイアシ類やサルパ類,オキアミ,魚の幼生など,様々な動物プランクトンの群れが加わる。夜間に海面近くにいた大群は,朝日が海面を照らし始めると再び海の深くへと戻っていく。日の出と日の入りが太平洋からインド洋,南極海,大西洋へ東から西に24時間周期で移っていくのに伴い,動物プランクトンの大群が次々と海面に向かって上昇し,日が差すと再び深くへ戻る。

「日周鉛直移動」と呼ばれるこの毎日の動きに人間はほとんど気づいていないが,生物の周期的移動としては地球上で最大規模だ。最新の試算によると,約100億トンもの生物が毎日この旅行を繰り返している。水深900mのところから海面に上がってくるものもいる。体長5mmほどの魚の幼生が300mの距離を上るのは,人間に換算すると80kmを泳ぐのに相当する。これをたった1時間かそこらでやってのけるのだ。しかもこの旅でプランクトンは条件が大きく異なる領域を通過する。水深300mの水温は4℃ほどと海面よりも約10℃低く,水圧は1㎠あたり約30kgで海面の30倍以上だ。無数の微小動物がこのように難儀な旅を毎日繰り返すのはいったいなぜなのか?

端的に答えるなら,食べるため,そして食べられるのを避けるためだ。日中,か弱い動物プランクトンは暗い深海でイカや魚などの捕食者から隠れて過ごしている。夜が訪れると一斉に海面を目指し,海面から数十mの浅いところにいる小さな水生植物である植物プランクトンを闇に紛れて食べる。

だがこれは日周鉛直運動の大まかな流れにすぎない。詳しく見ると様々な逆流や渦も発生している。一段と精巧になった音波探知機や自律型無人潜水機,DNA配列の解析技術のおかげで,詳細がわかってきた。解明が進めば,海の食物網と世界の二酸化炭素収支,地球上の生命の本質に関する疑問の解決につながるだろう。

再録:別冊日経サイエンス261『生命輝く海 ダイナミックな生物の世界』

原題名

Stealth Migrations(SCIENTIFIC AMERICAN August 2022)

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