
半世紀前の1970年代から80年代にかけて日本は「彗星王国」の名をほしいままにしていた。当時,ほとんどの新彗星は日本のアマチュア天文家によって発見されていたからだ。天文家からの電報を受けて新彗星をすみやかに確認し,国際天文学連合に報告する役割を担ったのが東京大学東京天文台(国立天文台の前身)で,その確認観測に用いられたのが秩父山地にあった同天文台堂平(どうだいら)観測所の口径50cmシュミット望遠鏡だった。彗星王国日本を支えたこの望遠鏡は約20年前に同観測所が閉鎖された後,国立科学博物館の収蔵庫で長い眠りについている。 (文中敬称略)
日本における彗星研究の草分けの1人で,堂平シュミット望遠鏡の生みの親ともいえるのが広瀬秀雄だ。
続きは日経サイエンス2022年8月号にて