
あなたがオオソリハシシギの幼鳥だと想像してほしい。すらりとした足と獲物を探るための長いくちばしを持つ大型の水鳥だ。アラスカのツンドラで卵から孵化したあなたは,日が短くなって凍てつく冬が迫ると,地球上でも特に見事な渡りに出発したいという衝動に駆られる。赤道を越え,1万2000km先のニュージーランドまで少なくとも7昼夜飛び続ける,太平洋縦断の無着陸飛行だ。行くか,さもなくばこのまま死ぬか。毎年,数万羽のオオソリハシシギがこの渡りを無事に終えている。毎年春には,ムシクイやヒタキ,アジサシ,シギなど何十億羽もの幼鳥が同様の壮大で危険な渡りに旅立ち,経験を積んだ仲間の助けなしに夜空を迷わずに飛んでいる。
人々は鳥がなぜ季節ごとに姿を現しては消えるのかについて長い間頭をひねってきた。アリストテレスは,ツバメなどの一部の鳥は真冬の数カ月間冬眠し,それ以外の鳥は別の種類に姿を変えると考えていた。足環などを使った標識調査や衛星による追跡調査,より広範なフィールド調査の普及によって,ある地域で越冬する鳥の集団と別の地域で繁殖する集団が同一だとわかり,一部の鳥が毎年2つの場所の間を長距離移動していることが示されたのはこの100年ほどのことだ。驚くべきことに,長距離の渡りをする鳥は幼鳥でも目的地を知っており,どの年も同じルートを取ることが多い。彼らは渡りのルートをどうやって見つけるのだろうか。
昔の船乗りが太陽や星を目印にして船を進めていたように,渡り鳥は天体をナビゲーションの手がかりとして使っている。ただし,鳥は人間とは違い,地磁気も検知し,それを使って自分の位置や向きを割り出している。鳥の磁気感覚については50年以上研究されているが,鳥たちが渡りのルートから外れないために地磁気の情報をどのように使っているのか正確なところはわかっていない。
最近,私たちや他の研究者がこの長年の謎に挑み始めた。私たちの実験から得られた証拠は驚くべきことを示唆している。鳥の眼の中では光化学反応によって「ラジカル対」という短寿命の分子ペアが形成されており,鳥のコンパスはこのラジカル対に生じる微妙で本質的には量子的な効果に依存しているのだ。つまり,鳥たちは地球の磁力線を“見る”ことができ,その情報を使って繁殖地と越冬地の間のルートを決めているようだ。
著者
Peter J. Hore / Henrik Mouritsen
ホアは英オックスフォード大学の化学者。電子スピンと核スピンの生物物理化学と,それが動物の磁気感覚のメカニズムなどに与える効果を研究している。
モウリットセンは独オルデンブルク大学の生物学者。夜間に渡りをする鳴禽を中心に,多くの種類の動物の定位とナビゲーションのメカニズムを研究している。
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「シュレーディンガーの鳥 生命の中の量子世界」,V. ヴェドラル,日経サイエンス2011年10月号。
原題名
The Quantum Nature of Bird Migration(SCIENTIFIC AMERICAN April 2022)