
今や,量子コンピューターという言葉を,新聞や雑誌で見ない日はないくらいである。グーグルやIBMといった名だたるIT企業や各国の研究機関が量子コンピューターの開発にしのぎを削り,我が国でも理化学研究所の量子コンピュータ研究センターを中心に参戦している。今ではクラウドで量子コンピューターの実機をプログラムし,計算結果を受け取ることもできるようになった。そんなニュースを見聞きしていると,量子コンピューターはすでに実現し,明日にでも生活に使える時代になったと思うかもしれない。しかしながら,量子コンピューターの一大ブームとも言える現在の状況は,私を含めこの分野の研究者たちにとっては予想外であった。実のところ,つい5年前くらいまで私たちは,この段階の量子コンピューターがここまで広く話題になるとは想像もしていなかった。
理由は,現在実現している量子コンピューターは,実用的な問題を解くという点では,いまだスーパーコンピューターに勝てていないからだ。こう言うと,もう3年も前にグーグルの量子コンピューターが世界最速のスパコンを打ち負かしたではないか,と思う人もいるだろう。それはその通りだが,あれは量子コンピューターにとって圧倒的な有利な,特殊な問題を計算させる競争であった。新材料の機能予測や機械学習といった皆が量子コンピューターに期待している計算は,今もスパコンのほうがはるかに速い。
計算途中でエラーが起きる
一体なぜだろうか。それは,現在の量子コンピューターの基本素子である量子ビットにノイズが生じ,一定の確率で計算中にエラーが起きてしまうからである。量子コンピューターに限らず,コンピューターは一般に,基本素子の状態変化(これを計算のステップと呼ぶ)を何万回,何十万回と繰り返すことによって計算を進める。ところが量子コンピューターにおいては現在の最高性能の量子ビットであっても,数千回に1回程度はエラーを起こす。
続きは日経サイエンス2022年8月号にて
著者
藤井啓祐(ふじい・けいすけ)
大阪大学基礎工学研究科教授。理化学研究所量子コンピュータ研究センター量子計算理論研究チームリーダー。専門は量子コンピューティングの理論,特に量子誤り訂正,量子計算複雑性,量子機械学習。著書に『驚異の量子コンピュータ』(岩波書店)がある。
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