日経サイエンス  2022年7月号

量子もつれ実験の難題を解くAI物理学者

A.アナンサスワーミー(サイエンスライター)

量子物理学者のクレン(Mario Krenn)は2016年の初め,ウィーンのカフェでコンピューターの出力を見つめ,MELVIN(メルヴィン)が一体何を発見したのかを読み解こうとした日のことをよく覚えている。メルヴィンとはクレンが作成した機械学習アルゴリズムで,いわゆる人工知能(AI)だ。

メルヴィンは見たところ,複数の光子が絡み合う高度に複雑な量子もつれ状態をつくるという問題の解を見いだしたようだった。ウィーン大学のクレンとツァイリンガー(Anton Zeilinger)らは,そんな複雑な状態を生成するのに必要なルールをメルヴィンに明示的に与えてはいなかったが,メルヴィンは解にたどり着いた。

クレンがメルヴィンを生み出したのは,ある意味偶然だった。クレンらは,ある特殊な量子もつれ状態を実験的につくり出す方法を模索していた。0,1,2の3つの状態の重ね合わせになる光子3個を量子もつれにし,全体を000,111,222という3つの状態の重ね合わせにする。3次元の「GHZ状態」と呼ばれるもので,安全な量子通信や,より速い量子計算の実現に重要な要素となる。2013年末ごろ,クレンらは何週間も黒板に実験の設計図を描き,目的の量子状態をつくれるかどうか計算した。どれも見込みなしだった。

時間の節約のため,クレンはまず,実験のセットアップを入力すると得られる光子の量子状態を計算するコンピュータープログラムをつくった。次に実験で光子を生成し操作するのに使う要素,すなわちレーザー,非線形結晶,ビームスプリッター,位相シフタなどを計算に組み入れられるようにした。プログラムはこれらの要素をランダムに組み合わせて様々なセットアップを探索し,得られる量子状態を出力した。こうしてメルヴィンが誕生した。

「このプログラムは実験屋3人,理論屋1人からなる我々研究チームが何カ月頭をしぼっても思いつかなかった方法を,たった数時間で見つけ出した」とクレンは言う。「その日は本当に興奮した。信じられない気持ちだった」。



再録:別冊日経サイエンス263『生成AIの科学 「人間らしさ」の正体に迫る』

著者

Anil Ananthaswamy

『宇宙を解く壮大な10の実験』(河出書房新社),『私はすでに死んでいる―ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳』(紀伊國屋書店)の著者。最新刊は「Through Two Doors at Once: The Elegant Experiment That Captures the Enigma of Our Quantum Reality」(2つのドアを一度に通る:量子的実在の謎を捉えるエレガントな実験)。

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特集 量子もつれ実証」,R.ハンソン,谷村省吾ら,日経サイエンス2019年2月号。
波動関数の収縮は物理現象か?」,T. フォルジャー,日経サイエンス 2019年8月号。

原題名

The Artificial Physicist(SCIENTIFIC AMERICAN October 2021)

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量子もつれ重ね合わせGHZ状態量子干渉グラフ理論