日経サイエンス  2022年5月号

特集:辛い!の科学

ゲノムが語る食の文化史

出村政彬(編集部)

「現地の人々が『アヒ』と呼ぶコショウには,コショウ以上の価値がある。彼らの食事はこれなしには成り立たず,人々はとても健康的に過ごしている」。コロンブス(Christopher Columbus)は1492年,カリブ海の西インド諸島に上陸して,現地の人々の暮らしについてこう記した。アヒとは現地の言葉でトウガラシのことだ。当時トウガラシはアメリカ大陸にしか分布しておらず,ヨーロッパ人が初めてトウガラシに出会った瞬間だった。

コロンブスがスペインにトウガラシを持ち帰った後,わずか数百年でトウガラシは南極大陸を除くすべての大陸で栽培され,ヨーロッパやアフリカ,中東,インド,アジアなど各地の料理に取り入れられていった。日本も例外ではない。鹿児島大学准教授でトウガラシの食文化を研究する山本宗立によれば,江戸時代中期の1730年代に幕府がまとめた『享保・元文諸国産物帳集成』に記載されたトウガラシの呼び名は約120種に上る。当時,すでにトウガラシの食文化がしっかりと日本に根付いていた証拠だ。

一体,どうしてトウガラシは世界各地の異なる文化に速やかに受け入れられ,定着したのだろうか。どの時代においてもトウガラシの利用は生活に密接した当たり前のことであったため,書物に残された記録は決して多くない。近年になって,トウガラシと人の関係を,トウガラシの種子やゲノムを解析することで解き明かそうとする研究が盛んになっている。もの言わぬ植物に,これまで記録されてこなかったいにしえの日常を語らせる取り組みだ。

サイト内の関連記事を読む

キーワードをGoogleで検索する

ワカ・プリエタトランスポゾン三角貿易キダチトウガラシ