日経サイエンス  2022年5月号

特集:辛い!の科学

痛みが美味しさに変わるメカニズム

出村政彬(編集部)

2021年10月。この年のノーベル生理学・医学賞の受賞者のもとに,色とりどりのタバスコソースのセットが届けられた。ファミリーレストランで見かけるような,卓上サイズのビンが化粧箱に並んで入っている。お祝いの品ならもっと豪華でもよさそうだが,今年のプレゼントはどうしてもこれでなければならなかった。送り主は世界で最も有名なタバスコソースのメーカー,マキルヘニーだ。ギフトには小さな付箋がついていて,手書きの文字でこう記されていた。

「あなた方のトウガラシの研究が,ノーベル賞の栄誉に輝いたことを祝して」。

2021年のノーベル生理学・医学賞の受賞テーマは「温度受容体と触覚受容体の発見」だった。なんだか,一見トウガラシとなんの関係もないタイトルだ。しかし,受賞者であるカリフォルニア大学サンフランシスコ校教授のジュリアス(David Julius)と,米スクリプス研究所教授のパタプティアン(Ardem Patapoutian)の研究を語る上でトウガラシは欠かせない。舌の奥深くにひそむ,トウガラシの辛み成分を感知するセンサー「TRPV1(トリップ・ブイワン)」の発見は,私たち人間とスパイスの関係を見つめ直す新たな視点を提供した。

そもそも,辛い味には他の味と比べて大きな違いがある。後から水を飲んでも薄まらないことだ。酸っぱさや塩からさは水を飲めばすぐにおさまるが,激辛のものを食べた後はしばらく舌がヒリヒリし続け,にっちもさっちもいかなくなる。

酸味や塩味といった味が舌の表面にある味蕾と呼ぶ感覚器官で捉えられるのに対して,辛い味──特にトウガラシのカプサイシンを感知するセンサーは舌の内部にある。カプサイシンは脂溶性の物質なので,舌の組織の内部まで浸透していく。辛みを感じている時にはすでにカプサイシンは舌の中に潜り込んでいるので,水を飲んで舌の表面を洗っても辛みはおさまらないというわけだ。

味蕾で捉え,味覚神経を通じて脳に運ばれるのが味覚の情報だ。辛みは一般的によく「辛味」と表記されることもあるが,実は味覚ではない。

辛みセンサーTRPV1が見つかった経緯をひもとけば,それがより明確になる。TRPV1の発見に至る一連の研究は,舌はおろか,食事とは全く関係のない分野で始まった。

続きは日経サイエンス2022年5月号にて

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