日経サイエンス  2022年2月号

特集:宇宙観測と量子技術

星がくっきり撮像技術

衛星量子通信・宇宙ゴミ対策に

T. トラブイヨン C. ドルジュヴィル F. ベネット(いずれもオーストラリア国立大学)

天文学者にとって,それは魔法の瞬間だ。モニター画面を見つめていると,天体のピンボケ画像が鮮明になり,それまでよくわからなかった細部が浮かび上がってくる。私たちはこれを「ループを閉じる」と称している。大気のゆらぎによる天体像のボケを望遠鏡で補正する補償光学ループのことだ。補償光学は基本的に,地上の観測者と宇宙の間にある大気が星の瞬きをもたらす影響を打ち消すことで,ピンボケだった天体像をくっきり鮮明にする。

複雑で難しい技術だが,今や天文学者は補償光学にほぼ熟達しており,天文学以外にもこの技術は広がり始めている。そうした新たな応用の1つは,かつて補償光学の開発を促した用途そのものだ。補償光学は低軌道を飛ぶ人工衛星や宇宙ゴミの追跡と撮像のほか,低軌道と中軌道,静止軌道を飛ぶ物体の追跡精度の向上に利用できる。

補償光学の恩恵に浴するのは宇宙の保安だけではない。暗号化通信はここ数十年間に起こった数多くの技術的進歩に欠かせない要素だ。暗号技術者はデータを保護するための新技術を次々開発しているが,完全に安全な暗号化方式は実現していない。それを変えようとしているのが量子暗号だ。光ファイバーを使わずに長距離の量子暗号通信を実現するには,地上の光学望遠鏡と衛星に搭載した受信用望遠鏡との間でレーザー光をやり取りする必要がある。その際,レーザーで宇宙ゴミの軌道を変える場合と同じ問題に直面することになる。大気の影響によって伝送経路が変わってしまう問題だ。しかし,ここでも補償光学技術を使って量子信号を送受信すれば,転送できるデータ量を大幅に増やせる。これによって,量子暗号光通信は,大型パラボラアンテナを用いる現行の衛星通信に対抗できるようになるかもしれない。

著者

Tony Travouillon / Céline d'Orgeville / Francis Bennet

3人はオーストラリア国立大学に所属し,トラブイヨンは天文学・計測科学の准教授。ドルジュビルは天文学・宇宙観測学の教授。ベネットは光学計測学の准教授。

原題名

Seeing Clearly(SCIENTIFIC AMERICAN April 2021)

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