
私の祖母はアルツハイマー病だった。小学校教諭として長年働き,とても朗らかな人であったが,70歳代後半になって物覚えが悪くなった。あるとき,自分が置いたのとは違う場所に財布がある,あなたお金取ったでしょう!と言いだした。自分がどこに置いたのかがわからなくなったのだ。そんなことが何度も続くと,困惑するのは家族である。嫌がる祖母を病院に連れて行ったが,下った診断は予想通り,アルツハイマー型認知症だった。
当時,アルツハイマー病に対する根本治療法は存在しなかった。なすすべもなく1年,2年が過ぎ,祖母は徐々に記憶を失っていった。発症後数年して,孫の私のことがわからなくなった。勤めていた小学校で同僚をそう呼んでいたのだろう,認識できない人のことを「先生」と呼ぶようになり,私も「センセ」と呼ばれた。祖母にとって私は長年可愛がった初孫ではなく,見ず知らずの他人になったのである。私にとって祖母であることには変わりないのに。発症から15年後,すべての記憶を失った祖母は,93歳で亡くなった。
アルツハイマー病の残酷なところは,患者の記憶が失われて自分自身でなくなってしまう残酷さだけでなく,周囲の家族が愛する人のために過酷な介護を強いられること,患者との美しい思い出を書き換えざるをえない心の苦しみを経験することである。現在,世界で5000万人以上のアルツハイマー病患者がいるが,家族を含めれば,アルツハイマー病で苦しんでいる人たちはもっともっと多いはずである。
祖母が発症してから20年近くたったが,その間,アルツハイマー病研究はどれだけの進展を見たのだろうか? 当時,近いうちに薬ができて,アルツハイマー病は治療できるようになると楽観的に予想されていた。すでに,アミロイドとタウと呼ばれる異常タンパク質の蓄積によってアルツハイマー病が生じることが知られていた。この蓄積が神経細胞の変性・死滅を引き起こし,記憶障害を引き起こすのだろうと考えられた。この考え方に基づいて,アミロイドを除去する抗体薬の開発が数々の製薬会社によって進められてきたが,治験の結果はいまだ芳しくない。20年たったいまでも,アルツハイマー病の有望な治療法は存在しないのである。私たち研究者の戦略は,どこがまちがっていたのだろうか?
私は日本の大学院で嗅覚の研究をし,ポスドク時代にはノルウェーで記憶の基礎的な研究を行ってきた。記憶の研究を行っているのに,祖母の病気に対してなんの手助けもできなかった。アルツハイマー病で苦しんでいる人はいまでも非常に多く,今後増える一方である。
これまでアルツハイマー病研究は,分子・細胞メカニズムの研究が中心であった。私の専門とする,神経細胞が作り出す回路や活動を調べる「脳回路研究」の方法ではほとんど研究が行われていなかった。アルツハイマー病で神経細胞が変性し死んでしまうのなら記憶がなくなるのは当然であり,神経活動を調べても意味がない,と思われていたためである。だが,本当にそうなのだろうか? 私にもなにかできることはないだろうか? 2016年にカリフォルニア大学アーバイン校に移ったのを機に,私はアルツハイマー病によって失われる神経活動を突き止める研究を始めた。
続きは2022年2月号誌面でどうぞ。
再録:別冊日経サイエンス252『脳科学の最前線 脳を観る 心を探る』
著者
五十嵐 啓(いがらし・けい)
カリフォルニア大学アーバイン校医学部助教授,医学博士。2007年に東京大学医学系研究科博士課程修了,ノルウェー科学技術大学のE. I. モーザー&M.-B. モーザー夫妻の研究室で博士研究員。2016年より現職。記憶を作り出す脳回路メカニズムと,脳回路がアルツハイマー病でどのように失調するのかを解明する研究に取り組む。研究に関する問い合わせは[email protected]
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「空間認識のカギ握るグリッド細胞」,M. B. モーザー/E. I. モーザー,日経サイエンス2016年6月号。
「発病の謎を解く 新たな視点」, K. S. コシク,日経サイエンス2020年11月号。
「発症を抑える治療を目指す」,西道隆臣,日経サイエンス2020年11月号。