日経サイエンス  2021年12月号

熱くなる極北のるつぼ スヴァールバル諸島からの報告

G. ディッキー

2014年,サッバティーニ(Mark Sabbatini)は自宅アパートのコンクリートの壁にひび割れが入っているのに気づいた。彼がここスヴァールバル諸島に来てから6年がたっていた。バレンツ海の遠い沖合,ノルウェー北端から北極点へ向けて半分ほどのところにあるノルウェー領の群島だ。彼は世界をめぐりながら執筆している米国人ライターで,オープンで国際色豊かな社会にひかれて,そしてジャズ音楽にひかれてここにやって来た。

北緯78度にある世界最北端の町ロングイェールビーンでは,毎年冬に常闇を活気づけるジャズフェスティバルが開かれる。町を囲む山をわたる強風がうなるなか,住民や現地調査で滞在している大学生と科学者,観光客が集まり,シャンパングラスを傾けながら心地よい調べを楽しむ。サッバティーニが最初にこの地に着いたのは,ちょうどこのフェスティバルが始まるところだった。すぐにスヴァールバルが我が家のように思えたという。「部屋を見回し,誰かにピンときて恋に落ちる――そんな感じだった」。

しかしいま,その関係に亀裂が生じ始めたようだ。サッバティーニはアパートのひび割れは雨漏りが原因だろうと思った。実際,例年よりも雨が多かった。だがその後,建物のコンクリートの基礎が傾いていることがわかった。ひび割れがしだいに伸び,ベージュ色の外壁を損なった。翌年,建物の下に設置された冷却システムが壊れていることが判明した。暖期も永久凍土を凍った状態に保って安定化するための装置だ。「それに,暖かい日がどんどん増えていた」とサッバティーニはいう。2016年2月のある日,建物の倒壊を危惧した町は突然,居住者に立ち退きを命じた。サッバティーニら30人はたった数時間で荷物をまとめて退去しなくてはならなかった。

なかにはロングイェールビーンを去った人もいたが,サッバティーニは残った。現在53歳の彼を含め約2400人が住むこの町は,世界で最も急速に温暖化が進んでいる町だ。1971年以降,スヴァールバルの気温は約4℃上昇した。世界平均の5倍の速さだ。冬場の気温は50年前に比べて7℃以上高くなっている。昨年夏,スヴァールバルは平年を上回る暑さが111カ月にわたって続いた後に,過去最高の21.7℃を記録した。

再録:別冊日経サイエンス262『気候危機と戦う 人類を救うテクノロジー』
再録:別冊日経サイエンス253『世界の現場から 実践SDGs 格差・環境・食糧問題の現実解』

著者

Gloria Dickie

カナダのブリティッシュコロンビア州を拠点に活動する環境ジャーナリスト。National Geographic誌,Wired誌,New York Times紙などに寄稿。

原題名

The Polar Crucible(SCIENTIFIC AMERICAN June 2021)

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