日経サイエンス  2021年12月号

特集:新型コロナ 次の治療薬は

タンパク質工学の新潮流 ワクチンや抗体医薬を自由に設計する

R. ジェイコブセン(ジャーナリスト)

 2020年4月のある金曜日の夜遅く,ウォールズ(Lexi Walls)はワシントン大学(シアトル)の研究室にひとり居残り,これまでの人生で最も重要な実験の結果を落ち着かない気持ちで待っていた。コロナウイルスが専門のこの若き構造生物学者は過去3カ月間朝から晩まで,世界を荒らし回っている病原体に対する新種のワクチンの開発に没頭してきた。首尾よくいけば,コロナウイルス感染症(COVID)を抑え込むだけでなく,インフルエンザからHIVまで様々な感染を阻止する道が開け,ワクチン分野を変革できるかもしれない。

 ウォールズが開発中のワクチンは従来のどのワクチンとも違って,自然界に見られる物質に由来するものではない。コンピューター上で設計された人工の微小タンパク質でできている。この技術は,生体物質を再設計する能力の飛躍的拡大を告げるものだ。

 タンパク質は複雑なナノマシンであり,タンパク質どうしが絶えず相互作用することで生体内のほとんどの仕事を遂行している。食物を消化し,侵入者と戦い,損傷を修復し,周囲の環境を感知し,信号を伝え,力を発揮し,思考を生み出すのに寄与し,自己複製している。

 タンパク質はアミノ酸という比較的単純な分子が連なった長い鎖でできており,その鎖がねじれ折り畳まれて,途方もなく複雑な立体構造を作り上げている。この折り紙のような形状は,タンパク質を構成する様々なアミノ酸の配列順序と数によって決まる。それぞれのアミノ酸が他のアミノ酸に対し,固有の引力や反発力を及ぼすのだ。

 こうした相互作用は非常に複雑なうえ,タンパク質は非常に小さいため(平均的な細胞は4200万個のタンパク質を含んでいる),アミノ酸鎖が自発的に折り畳まって所定の立体構造を忠実に作り出す過程をどんな規則が支配しているのか,いまだに解明できていない。多くの専門家は決して解明できないだろうと考えていた。

 だが人工知能(AI)に関する新たな知見とブレークスルーが,その秘密の扉をこじ開けつつある。世界を変革する可能性を秘めた新たな生化学ツールが開発されている。それらを使えば,感染症と戦う微小なロボットをタンパク質で組み立てることができる。そうした人工タンパク質ナノロボットで人体の各所に信号を送り,有毒な分子を分解し,光エネルギーを収穫することも可能だろう。狙った目的を達成する生体物質を作り出せるのだ。

著者

Rowan Jacobsen

ジャーナリスト。著書に「Shadows on the Gulf」(ブルームズベリー,2011年),「Truffle Hound」(同,2021年)などがある。本誌には「ウイルスをシャットアウトするゲノム改造細菌」(日経サイエンス2020年3月号),「絶滅したハワイの花 マウンテン・ハイビスカスの香りを復活」(日経サイエンス2019年5月号)を執筆。2017〜18年にマサチューセッツ工科大学のナイト科学ジャーナリズムフェロー。

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合成生物学を加速するバイオファブ」,D. ベイカーほか,日経サイエンス2006年9月号。

原題名

Life, New and Improved(SCIENTIFIC AMERICAN July 2021)

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