
都心の麻布飯倉にある日本経緯度原点は近代天文学受難の地でもある。大正12年(1923年)の関東大震災で,同地にあった東京帝国大学東京天文台(国立天文台の源流)は主力の望遠鏡が大破するなど大きな被害が出た。これを機に天文台は郊外の三鷹への移転計画が加速,翌年にほぼ完了した。天文台と一体運営されていた東京帝国大学天文学教室(東京大学天文学教室の母体)は麻布に残留したが,第二次世界大戦の空襲で全焼した。(文中敬称略)
日経サイエンス 2021年10月号
都心の麻布飯倉にある日本経緯度原点は近代天文学受難の地でもある。大正12年(1923年)の関東大震災で,同地にあった東京帝国大学東京天文台(国立天文台の源流)は主力の望遠鏡が大破するなど大きな被害が出た。これを機に天文台は郊外の三鷹への移転計画が加速,翌年にほぼ完了した。天文台と一体運営されていた東京帝国大学天文学教室(東京大学天文学教室の母体)は麻布に残留したが,第二次世界大戦の空襲で全焼した。(文中敬称略)