日経サイエンス  2021年9月号

世界最古の都市遺跡に見る「我が家」の起源

A. ニューイッツ(科学ジャーナリスト)

トルコ中央部のコンヤ平原は小さな農場と埃っぽい土地に覆われた広大な高台で,紫色の影を落とす壮大な山脈に縁取られている。夜に山麓の丘へドライブすると,遠くの街の灯が蜃気楼のようにゆらめくのが見える。この眺めは9000年前とあまり変わっていない。光が灯る大都市のこのシルエットは,紀元前7000年の人にも見慣れたものだったろう。コンヤ平原は都市生活発祥の地のひとつであるからだ。

南方にメソポタミアの都市が生まれるよりも数千年前,ここには「チャタル・ヒュユク」という原始的な都市が栄えていた。14ヘクタール近い面積に8000人が居住する当時の大都市だ。このコミュニティーは2000年近く住み続けられた後,紀元前5000年ころに徐々に遺棄された。全盛期には,チャタル・ヒュユクで開かれている多くの宴のかがり火がはるか遠くの草原から見えたことだろう。

後世の都市と違って,チャタル・ヒュユクには巨大なモニュメントも市場もなかった。10あまりの農村が一緒になって発達し,「メガ・サイト」と呼ばれる大規模集落を形成したと考えられている。日干し煉瓦造りの家が何千軒も密集し,人々はその天井の扉から家に入り,都市全体の屋上を曲がりくねってつながる通路をたどって移動していた。都市の周囲にある小さな農地で農業が営まれた。チャタル・ヒュユクの住民は,家の手入れにしろ服や道具,料理,美術品の作製にしろ,日常の大半を,四方を壁に囲まれた部屋のなか,寝床となる壇のすぐそばで過ごした。暑い季節には屋根のうえで。

これは1960年代初めに考古学者がチャタル・ヒュユクの発掘を始めたときに予想していたものとは少し違っていた。発掘チームは他の古代都市に関する知識に基づき,神殿や市場,考古学的に貴重な戦利品などを見つけるつもりでいた。だが実際に見つかったのは,室内装飾品や調理器具,正式な礼拝所ではなく家庭で使われる儀式用具の遺物だった。

予想と現実のこの食い違いに,チャタル・ヒュユクの研究者は何十年も困惑してきた。これらが何を意味しているかを解明するには,新しいタイプの考古学を必要とした。人間が遊牧生活から定住生活に移行して「我が家」という強い意識を持つ農民や都市住民となった時期の生活が実際にどのようなものだったのかを,個々の手がかりをつなぎ合わせて描き出す研究だ。(続)



再録:別冊日経サイエンス260『新版 性とジェンダー』

著者

Annalee Newitz

カリフォルニア州アーバインを拠点とする科学ジャーナリスト。近著は「Four Lost Cities: A Secret History of the Urban Age」(W. W. ノートン,2021年)。

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トルコの遺跡にみる9000 年前の男と女」,I. ホッダー,日経サイエンス2004年5月号。

原題名

The Origin of Home(SCIENTIFIC AMERICAN March 2021)

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チャタル・ヒュユクブクラニウム自己家畜化