
私たち日本人は,一体どんなルーツを持つ集団なのか。一般には「日本列島に最初に到達した人々と,後に大陸からやってきた人々が混ざった」とされることが多い。縄文時代からの在来の人々と渡来人の混血だ。しかし近年,現代人と数千年前の人骨のゲノムを同じ精度で解析できるようになったことで,従来の想像を超えてこの混血の過程が複雑である可能性が出てきた。どんな書物にも一切残されていない日本人の歴史の序章を解き明かすべく,人類学や考古学の研究者たちがタッグを組んで謎に挑んでいる。
「うちのデータを解析しませんか?」
東京大学教授の大橋順は2018年,日本人類遺伝学会のシンポジウムでの講演後に突然ヤフーの社員を名乗る男性に呼び止められた。この時声を掛けたのは,当時ヤフーで遺伝子検査サービスの事業を手掛けていた責任者の井上昌洋(現・株式会社Zene代表取締役)だった。遺伝子検査で集まった1万人を超える全国47都道府県のゲノムデータを学術的に有効活用できないか,井上はその可能性を模索していた。大橋にとってもこれは願ってもない提案だった。通常なら,1万人規模のデータを1人の研究者が集めるのはとても難しい。
研究の対象としたのは,遺伝子検査サービスを利用した人のうち研究への利用の許諾を得てから県名だけを残して匿名化した1万1000人のデータだ。大橋らは男女に共通する常染色体ゲノムの中にある18万3708カ所の一塩基多型を用いてこのデータを解析した。データを得られた人数には都道府県ごとにばらつきがあったため,最終的には各都道府県ごとに50人のサンプルを抽出した。解析結果は今年3月,研究プロジェクト「ヤポネシアゲノム」の一環として発表された。
「ヤポネシアゲノム」は,国立遺伝学研究所や国立科学博物館などが中心となって進める,日本列島に暮らす人々の起源を探る研究プロジェクトだ。ヤポネシアとはもともと奄美大島で長く暮らした作家・島尾敏雄が生み出した言葉で,ラテン語で日本を意味する「ヤポニア」を島々を意味する「ネシア」とつなげた造語だ。日本という国が生まれるより前にヤポネシアで繰り広げられた人類史のドラマが,少しずつ姿を現しつつある。
協力:大橋 順(おおはし・じゅん)/篠田謙一(しのだ・けんいち)/藤尾慎一郎(ふじお・しんいちろう)/斎藤成也(さいとう・なるや)
大橋は東京大学教授。ヒトの進化遺伝学が専門で,ゲノム解析によるヒト集団の起源や自然選択の影響,感染症とヒトの遺伝的適応について研究している。篠田は国立科学博物館館長。ヤポネシアゲノムのプロジェクトにおいて古代人ゲノムの決定と分析を担う研究班を率いている。藤尾は国立歴史民俗博物館教授。ヤポネシアゲノムでは考古学の研究班を率いている。斎藤は国立遺伝学研究所教授。新学術研究「ゲノム配列を核としたヤポネシア人の起源と成立の解明」領域代表。