
東京の麻布飯倉,ロシア大使館の横を入った突き当たりに開けた緑地があり,石造りの台が置かれている。約150年前の明治時代初め,ここに日本初の近代的な天文台が海軍によって建設され,後には帝国大学に移管されて東京天文台となった。近代天文学揺籃の地だ。石造りの台の場所には当時,天体望遠鏡が置かれ,恒星の日周運動の精密観測から同地の緯度経度が求められた。以来,この地点が現在に至るまで,我が国の位置を表す基準「日本経緯度原点」となっている。(文中敬称略)
明治時代は1868年に始まるが,西洋の天文機器を用いた観測技術が本格的に導入されたのは,それより13年遡った幕末のことだ。ペリーの黒船来航に危機感を抱いた幕府は1855年,長崎海軍伝習所を開設。選抜された幕臣や諸藩の藩士はオランダ海軍士官から授業の一環として天体観測から現在地の経緯度を求める技術と,島や暗礁,浅瀬など航海の安全に関わる海域の測量術を学び,オランダ製の軍艦を用いて実地訓練した。(続)