日経サイエンス  2021年6月号

知られざる水源 山岳氷河の危機

W. イマージール(オランダ・ユトレヒト大学)

ネパールのヤラ氷河の突端,標高5300mの地点に張ったテントで過ごす夜は長い。午後8時,遠征調査隊の総勢10人は,ネパール料理のダルバート(レンズ豆のスープを添えた飯)の食事を終えると,仮の宿りとなる小さなテントの中で寝袋にもぐりこんで寒さをしのいだ。酸素濃度が低いせいで心拍数が上がり,なかなか眠れない。私は,遠くで雪崩が落ち,氷が割れる音を聞きながら,寝袋から出て用を足しに行こうかと迷ったり,明日の予定を頭の中で思い出したりしながら何時間も過ごした。日が昇ると,キャンプはにわかに忙しくなる。高度5600mの地点に特殊な計測機器を据え付けるため,傾斜のきつい氷河を登っていくのだ。

私たちのチームは,ネパールにある国際総合山岳開発センターのメンバーとともに,2012年以来,ランタン集水域という場所で年に2回のフィールド調査を続けてきた。ベースキャンプと,さらに標高の高い複数の地点に自動気象観測ステーションを設置し,降水,雪塊(春から夏にかけて徐々に融けていく雪の堆積),放射,気温,相対湿度,風を測定する。そのためここランタンは,アジアで最も観測が進んだ高地集水域のひとつとなっている。

ステーションには半年に1度のペースで通い,機器のメンテナンスとデータのダウンロードをしなくてはならない。記録を自動で送信できる無線ネットワークは存在しないし,衛星通信も山体によって遮られてしまいがちだからだ。今回は氷に穴を開け,3mの高さの金属フレームに取り付けた新しいセンサーを設置する。このセンサーで温度と水蒸気を1秒間に10回測定し,昇華(氷から直接水蒸気に変わる相転移)を測定するのだ。

調査の目的は,高地の水循環の実態を知るために必要なデータを集めることだ。山頂に降った雪は,次第に氷河へと変わっていく。氷河はゆっくりと流れ下り,融けて水となる。その水が河川に流れ込み,下流に行くほど太くなって,高地にある多くの集落や段々畑,水力発電所,森林,谷間の農地,さらに下流にある大都市や産業に水を供給する。

私たちが調査を始めたとき,高地の水循環についてはほとんど何もわかっていなかった。実際にどれほどの雨や雪が降るのか。どれくらいの水が雪塊に流れ込み,流れ出るのか。周囲の斜面から削り取られた岩屑で覆われたデブリ氷河が,そうでない氷河と同じ速さで融けるのはなぜなのか。それらの詳細を調べ,雪塊や氷河から最終的に流れ出る水の量とタイミングを調べ,それが将来どのように変化するのかを突き止める必要がある。(続く)

再録:別冊日経サイエンス262『気候危機と戦う 人類を救うテクノロジー』

著者

Walter Immerzeel

オランダ・ユトレヒト大学の自然地理学教授。山地水文学グループ長。2002年よりネパールに居住し,ヒマラヤ高地の氷雪を計測している。

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南極の氷床が崩壊中? 海面上昇加速の危機」,R. B. アリー,日経サイエンス2019年5月号。

原題名

Peak Water(SCIENTIFIC AMERICAN January 2021)

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