日経サイエンス  2021年5月号

特集:色彩の科学

生物が育んだ幻の紫

田中陵二(相模中央化学研究所)

 2021年1月,イスラエルの遺跡で発掘された紫色の羊毛が,紀元前10 ~ 11世紀に巻貝から採った染料「貝紫」で染められたものであることが判明した。イスラエルの研究チームが炭素同位体の測定によって年代を確定し,高速液体クロマトグラフィー分析によって染料の正体を突き止めた。

 染められたのは日本では縄文時代の晩期,この辺りでは聖書にも出てくるダビデ王やソロモン王の時代である。今から3000年も前のことだが,その赤紫色は今もなお褪せることなく鮮やかだ。

 貝紫は古くから世界各地で,美しく色落ちしない染料として珍重された。紀元前15世紀ごろの古代メソポタミアの文書にすでに記録が現れ,フェニキア人の地中海交易で取引され,ローマ帝国において権力の象徴となり,そしてビザンティン帝国とともに滅びた。染める時の光の当て方によって赤紫から青まで色合いが変化するなど,現代化学の視点から見てもユニークな染料だ。日本でかつて広く行われていた藍染めとも意外な共通点がある。古くて新しい貝紫の歴史と化学を紹介する。

著者

田中陵二(たなか・りょうじ)

公益財団法人相模中央化学研究所主任研究員。無機材料化学グループを率いて有機金属化学と無機化学にまたがる新材料の研究開発に携わる傍ら,顔料や染料のルーツを調べて再現する活動に取り組んでいる。また元素や鉱物の結晶写真を撮影し,自らのウェブサイト「結晶美術館」で公開している。

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『若冲の青』を再現する」,古田彩,日経サイエンス2017年10月号。

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