日経サイエンス  2020年11月号

弔鐘の記憶 ある患者家族の手記

全文公開

J. シャーキン(サイエンスライター)

 アルツハイマー病は妻の記憶と人生を奪い,私たち家族を苦しめた。私たちにそれを止められる手立てはなかった。医学にも――。

 自分の愛する家族がアルツハイマー病になったとき,記憶の問題に直面するのは患者本人だけではないことを,私は身をもって知った。

 家族の記憶に残るのは,生き生きとして創造性にあふれた快活なその人だろうか,あるいはもはや私たちのことを認識できず介護施設のベッドに横たわってあえいでいる人だろうか? 互いに身も心もひとつにして胸躍る出来事を共有できた愛しい人だろうか,それとも言葉を結ぶことができずトイレの場所もわからなくなってしまった人だろうか? 自分の愛した人が,その心臓が止まる何年も前に実質的に死んでいるという現実のなかで,私たちはどう生きればよいのか? アルツハイマー病の恐ろしさは,悲惨さ以外のすべてを奪ってしまうように思える。私はいま,アルツハイマー病になる前のキャロルとの生活を思い出すのが難しくなっている自分に気づいている。

 私の妻,キャロル・ハワード(Carol Howard)は60歳代初めに早発性アルツハイマー病と診断された。私は彼女が徐々に崩壊するのを目にした。その素晴らしい知性が部分ごとに分解し,知覚力が徐々に衰え,彼女がもうそこにいなくなるのを目にした。

 診断を知った彼女はこの病気と闘う決心をした。2つの治療薬候補の臨床試験に加わったが,どちらの薬も失敗に終わった。私たちが不可避の運命を悟ったとき,彼女は私に,自分が死んだときには叫び悲しんでほしいといった。数十年にわたるアルツハイマー病研究が何の希望も生んでいないことに彼女は憤慨した。完治のすべはなく,有効な治療法もない。

 キャロルがどういう人だったか,それがどんな人になったかを述べようと思う。彼女は夏空のような青い目をした美しい女性だった。温和で聡明で,優しく親切だった。初めて会ったのは,私がカリフォルニア大学サンタクルーズ校で教えていたサイエンスライティング教程を彼女が受講したときだった。彼女は常に適切な語を適切に用いた文を書いた。海洋生物学を学び,2頭のハンドウイルカを調べた博士課程での研究を題材に一般向けの本を書いた。私たちはサンタクルーズ山地のセコイアの森に15年間住み,のどかな環境のなかで執筆した。その後ボルティモアに夫婦で引っ越し,彼女はジョンズ・ホプキンズ大学公衆衛生学部の動物実験代替法センターに勤務した。彼女お気に入りの素晴らしい職場だった。

 6年ほど前に,妙なことが起こり始めた。キャロルはときどき記憶を失った。リビドーが消えた。ある夜のこと,彼女はパソコンの前に座って泣いていた。ファイルをダウンロードする仕方を忘れたためだ。本を読まなくなった。間もなく病院で検査を受け,あの恐ろしい診断が下された。

 それでも散歩を楽しんでいたが,道に迷うようになったので,私は彼女にGPSトラッカーを持たせた。自分で帰れなくなったときは,私が迎えに行くか隣家の人が連れ帰るようになった。あるとき彼女は家を出て(適切に鍵をしていなかった),通りで叫び始めた。ある年の感謝祭に親戚が我が家に集まった際,彼女は寝室を出て家の周りを裸で歩いた。さらに悪化すると,虚空を見つめながら居間の椅子に何時間も座っているようになった。その目は輝きを失い,うつろだった。私は,彼女が話を聞いているとも話に反応するとも期待しないまま,自分の1日の出来事を彼女に話すのが日課になった。2人は同じ家のなかにいたが,私は一人きりだった。

 私は昨年1月に転んで膝と肋骨を折り,入院を余儀なくされた。娘のハンナは自分も父親も母の世話ができないと知って,キャロルのために介護施設を見つけた。メディケイド(低所得者などを対象とした公的な医療費補助制度)の対象となる施設だ。骨折から回復した私は週に2回施設を訪ね,彼女の衰えを目にすることになった。あるとき,彼女は私を自分の父親と取り違えた。また,私は彼女が激しく抵抗して介護を拒むのを2回見た。彼女にそんなことができるとは思えないほどの暴れようだった。

 最期の光景を忘れることは決してないだろう。2019年10月25日の正午,キャロルはハンナと1人の友人に手を取られてベッドから体を少し起こし,喉をゴロゴロいわせた後に再び身を倒し,亡くなった。私は彼女の目を閉じた。それは彼女の70歳の誕生日の1カ月前,私たちの結婚28周年の1カ月前だった。

 その後に生じた結果のひとつが経済的な災厄だった。米国の機能不全の医療制度においては,多くの米国人がそうならざるをえない結末だ。法的な諸問題への対処を弁護士に頼む必要があった(費用1万2000ドル)。そして,年間約8万ドルかかった介護費用を施設に支払うため,財産と所得を減らしてメリーランド州メディケイドの給付対象資格を得なければいけないと弁護士から告げられた。銀行口座に2500ドルを超える預金があってはいけないという。結局,私たちはキャロルの老齢年金を注ぎ込み,自宅を売ってアパートに引っ越さざるをえなかった。現在の私の生活はめちゃめちゃだ。

 そうした現在,私はキャロルをどのように記憶しているだろう? 彼女の衰えと死は比較的近年のことだから,その記憶は当然ながら強い。だが,人の尊厳を傷つけるアルツハイマー病の恐ろしさに関しては? それは輝きを失った目か? 汚れたおむつか,言いさしに終わった言葉か,空っぽの銀行口座か,怒りか?

 私は以下のことを覚えておこうと思う。いまから3年半前,キャロルの衰えが急激になるよりも前だが,私は世界最高のオーケストラのひとつであるアムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が私の好きな作品,マーラーの交響曲第2番「復活」を演奏する予定を知った。キャロルはぜひ一緒に聴きに行こうと同意してくれた。

 素晴らしい演奏だった。演奏会の後,私たちは手をつなぎ,薄霧に静かに沈む公園を散歩した。キャロルはひとことも話さなかった。だが私は彼女の顔の表情から,彼女がそこにいて私を認識しており,そして何よりも,この情熱的な音楽作品でマーラーが語っていたすべてを理解していたことがわかった。マーラーは彼女に理解されていた。科学者によると,音楽鑑賞はアルツハイマー病で最後まで損なわれずに残る認知のひとつだ。音楽を処理する脳領域が健全さを残しているためだという。

 アムステルダムでのこの体験は私たちが愛し合った最後であり,私がキャロルを短時間ではあるが取り戻した最後だった。生きていて,賢く,美しいキャロルを取り戻した。夏空のように青い目をしたキャロルを。そのことを忘れずにいようと思う。 (編集部 訳)



再録:別冊日経サイエンス252『脳科学の最前線 脳を観る 心を探る』

著者

Joel Shurkin

サイエンスライター。科学と科学史に関する9冊の著書がある。スタンフォード大学とアラスカ大学,カリフォルニア大学サンタクルーズ校でサイエンスライティングを教えてきた。

原題名

The Human Toll(SCIENTIFIC AMERICAN May 2020)

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