日経サイエンス  2020年8月号

山火事の見えない脅威 機上観測があぶり出す健康被害

K. ディックマン(フリージャーナリスト)

「面白い。そう濃くはない」。酔い止めパッチを耳の後ろに付けた大気化学者のクローフォード(Jim Crawford)がコックピットで声をあげた。2019年7月下旬のある日の午後。彼が窓から見ているのは山火事の渦巻く煙。搭乗しているのは米航空宇宙局(NASA)が空飛ぶ研究室に改造した古い大型ジェット旅客機DC-8だ。

キャビンでは総勢35人の科学者・技術者が機器を調整していた。緊張感が漂う。自分たちの機器(大半は都市の大気汚染物質を測定するために設計された)は微粒子が濃く立ち込める煙の中でも機能するのか? 機齢50年の機体は山火事で発生した煙柱の中でうまく対応して飛べるだろうか?

DC-8はモンタナ州ミズーラ郊外の山火事で生じた高さ約3.7kmのプルーム(炎熱による強い上昇気流)に突入するや細かく振動し上下動した。「45秒後に方向転換」とクローフォードがパイロットに指示を出す。乱気流は拍子抜けするほど穏やかで,彼はプルームの中をまた通り抜けてみようと考えた。

これは米海洋大気庁(NOAA)とNASAが3年計画で取り組んでいる意欲的なプロジェクト「FIREX-AQ」の航空班による3回目のフライトだ。目的は森林バイオマスの燃焼で放出される煙の化学組成を正確に把握し,その煙が人体に最も危険を及ぼすのはいつか,それはなぜかを知ることだ。

2019年夏は6週間をかけてDC-8と,やはり大気測定装置を搭載した双発プロペラ小型機ツインオッター2機が100を超える様々な煙柱の中を飛び回った。カンザス州の農場の小さな野焼きの煙から,火山噴火にもなぞらえられたワシントン州の山火事「ウィリアムズフラッツ・ファイア」で生じた高さ約9.5kmのキノコ雲までいろいろだ。バイオマスの煙がこれほど広く詳細に調べられたのは初めてだ。大気中の粒子の1/3までが火災由来だが,「煙の個々の成分が,曝露した人の疾患やその重症度にどのように影響するかを調べた研究はほとんどない」と米環境保護局(EPA)の幹部は2018年に述べた。

あらゆる煙に含まれる微小粒子状物質は慢性的に曝露すると,心疾患や肺疾患,不整脈を誘発し,とりわけ喘息を悪化させることが知られている。喘息による若年死は2016年に全世界で推定420万件。放出された煙が大気中で化学反応して生じるオゾンの長期的曝露によっても,年間に少なくとも100万人の若年死がもたらされているといわれる。だが,これらをはじめとする有毒成分が,様々な種類のバイオマス煙の中でいつどのようにして生じるのか,基本的な理解が欠けている。(続く)

再録:別冊日経サイエンス262『気候危機と戦う 人類を救うテクノロジー』
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再録:別冊日経サイエンス240「気候大異変 いま地球で何が起こっているのか」

著者

Kyle Dickman

フリージャーナリストでOutside誌の寄稿編集者。著書に『On the Burning Edge』 (Ballantine Books, 2015)がある。カリフォルニア州で5シーズンにわたり山火事を取材した。

原題名

The Hidden Toll of Wildfire(SCIENTIFIC AMERICAN March 2020)

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