
国立天文台には身の丈ほどもある古風な振り子時計が3台,役目を終え眠りについている。ドイツのリーフラー社が製造したので「リーフラー時計」という。かつては,この時計の針の動きが日本の時刻のおおもと(日本標準時)だった。明治時代後期,リーフラー時計の時刻信号をもとに,正午を知らせる空砲が東京や大阪などで打たれた。大正時代末からはラジオ放送で時報が流され,全国の人々が柱時計や懐中時計を合わせていた。 (文中敬称略)
再録:別冊日経サイエンス245「天文遺産 宇宙を拓いた日本の天文学者たち」
日経サイエンス 2018年9月号
国立天文台には身の丈ほどもある古風な振り子時計が3台,役目を終え眠りについている。ドイツのリーフラー社が製造したので「リーフラー時計」という。かつては,この時計の針の動きが日本の時刻のおおもと(日本標準時)だった。明治時代後期,リーフラー時計の時刻信号をもとに,正午を知らせる空砲が東京や大阪などで打たれた。大正時代末からはラジオ放送で時報が流され,全国の人々が柱時計や懐中時計を合わせていた。 (文中敬称略)
再録:別冊日経サイエンス245「天文遺産 宇宙を拓いた日本の天文学者たち」