日経サイエンス  2018年6月号

特集:ホーキング追悼

ブラックホールの量子力学

(再掲)

S. W. ホーキング(英ケンブリッジ大学)

今世紀初めの30年の間に,物理学に対する,また実在そのものに対する人間の考えをすっかり変えた3つの理論が現れた。物理学者たちは現在もなおそれらの理論が真に意味するものを探り,それらを互いに適合させようとしている。3つの理論とは,特殊相対論(1905年),一般相対論(1915年),量子力学(1926年頃)である。アインシュタイン(Albert Einstein)は第1の理論に大きな役割を果たし,まったく独自に第2の理論をつくり上げ,第3の理論の発展に大きな貢献をした。それにもかかわらず彼は,偶然と不確定の要素があるという理由から,量子力学を決して受け入れなかった。よく引用される「神はサイコロを振らない」というアインシュタインの言葉が,彼の気持ちを言い表している。しかしほとんどの物理学者は,直接に観測される効果を記述できるということで,特殊相対論,量子力学の両方を躊躇なく受け入れた。これに対し一般相対論は,数学的に複雑すぎるように見える,実験室の中で試すことができない,また量子力学と両立するとは思えない純粋に古典的な理論である,などの理由からほとんど無視された。こうして約50年のあいだ,一般相対論の研究は滞っていた。

1960年代の初めに天体観測が大きく拡張されたことで,一般相対論という古典理論に対する興味が復活した。クエーサー(準星),パルサー,コンパクトな(小さく押しつぶされた)X線源など当時発見された新しい現象の多くのものが,一般相対論でしか記述できない強い重力場が存在することを示唆するように思われたからである。クエーサーは,スペクトルの赤方偏移が示すような遠い距離にあるならば,個々の銀河全体よりはるかに明るい恒星状天体である。またパルサーは,急速に点滅する超新星残骸で,超高密度をもつ中性子星であると考えられる。宇宙船に搭載した装置で発見されたコンパク卜なX線源は,やはり中性子星かもしれないし,あるいは高密度の仮想的天体つまりブラックホールであるかもしれない。

新たに発見された,あるいは仮想的なこれらの天体に一般相対論を適用しようとしている物理学者が直面している問題の1つは,一般相対論を量子力学と両立させることであった。この数年間の理論の発展によって,マクロな対象に対しては一般相対論と一致し,そして願わくば場の量子理論をずっと悩ませてきた数学的無限大を避けられるような,完全に矛盾のない重力の量子理論ができるかもしれない,という希望がもてるようになった。これらの発展は,最近発見されたブラックホールに関する量子効果と関係があり,この効果はブラックホールと熱力学法則の間の顕著な関連を示している。(前文より)

*ホーキング博士が34歳のときに執筆し,SCIENTIFIC AMERICAN1977年1月号に掲載された記事を再掲する。翻訳は一部,現代的に改めた。

再録:別冊日経サイエンス264『ホログラフィック宇宙 時空と重力の起源に迫る』

著者

Stephen W. Hawking

英ケンブリッジ大学の理論物理学者。1942年にオックスフォードで生まれ,1962年にオックスフォード大学を卒業した。卒業後はケンブリッジ大学でシアマ(D. W. Sciama)の指導の下に一般相対論を研究した。執筆当時はケンブリッジのコンビルおよびケイアス・カレッジの研究員で,ケンブリッジ大学の応用数学・理論物理学科において重力物理学を教えていた。(1977年当時)

監修
大栗博司
カリフォルニア工科大学カブリ冠教授

原題名

The Quantum Mechanics of Blackholes(SCIENTIFIC AMERICAN January 1977)