日経サイエンス  2017年12月号

特集:性とジェンダーの科学

男女の脳はどれほど違う?

L. デンワース(サイエンスライター)

2009年,テルアビブ大学(イスラエル)の神経科学者ジョエル(Daphna Joel)は学生にジェンダーの心理学を教えることに決めた。彼女はフェミニストとして性別とジェンダーの問題にかねて関心を抱いていたが,科学者としての研究は主に強迫行為の背景にある神経活動に関するものだった。そこで開講に備え,脳の性差に関する膨大な科学文献を1年かけて精読した。ラットの特定の脳領域の大きさの違いから,人間の男性が攻撃的で女性は感情移入しやすい理由と思われる差異まで,あらゆる違いをカバーした数百篇の論文だ。

当初,ジョエルは一般によくあるのと同じ想定を抱いた。性別がほぼ常に異なる2種類の生殖器系を生むように,脳にも2つの異なる形態が生じるのだろう。女性脳と男性脳だ。

しかし文献を読み進めるうちに,この考え方に反する論文に行き当たった。ラトガーズ大学のショーズ(Tracey Shors)らが2001年に発表した論文で,ラットの脳のある細部構造,樹状突起棘(スパイン)に関する内容だった。突起棘は脳細胞から突き出た小さなこぶで,電気信号の伝達を調節している。ショーズらはラットのエストロゲン(女性ホルモン)を高めると雌のラットでは雄よりも樹状突起棘が多くなることを示していた。また,尻尾に電気ショックを与えて強いストレスにさらすと,雄と雌で脳が反対の反応を示すことを見いだした。雄では突起棘が増え,雌では少なくなる。

この予想外の発見をもとに,ジョエルは脳の性差に関する1つの仮説を提唱し,すでに議論が白熱していたこの分野に新たな議論を巻き起こした。脳の各領域に男女差があると考えるのではなく,人間の脳は様々な男性的特徴と女性的特徴の寄せ集めでできた“モザイク”であり,ときにはそのモザイクが変化しうると考えるべきだと唱えた。この可変性そのものと,男女の行動で重なる部分があること(攻撃的な女性や感情移入の強い男性,さらには両方を示す男女がいる)が,人間の脳を明確な2つの類型にまとめられないことを示している。頭蓋骨に収まった重さ1.4kgほどのこの塊は男性的でも女性的でもないとジョエルはいう。(続)

再録:別冊日経サイエンス260『新版 性とジェンダー』

著者

Lydia Denworth

ニューヨークのブルックリンを拠点とするサイエンスライター。著書に「I Can Hear You Whisper: An Intimate Journey through the Science of Sound and Language」(ダットン,2014年)がある。社会的行動の科学に関する本を執筆中。

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やっぱり違う 男と女の脳」,L. カーヒル,2005年8月号。

原題名

Is There a “Female” Brain?(SCIENTIFIC AMERICAN September 2017)

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