
科学大国アメリカが,急速に変わりつつある。
米国はこれまで国策として科学を推進し,潤沢な予算と開かれた研究環境を用意し,世界中から頭脳を吸い上げて,科学の進歩を牽引してきた。だが1月に就任したトランプ(Donald Trump)大統領は,そのすべてを変えようとしている。
選挙戦の最中から,科学的な事実を無視した発言を繰り返してきた。1月に大統領に就任すると,環境保護局の研究者たちが地球温暖化について発信することを禁じ,環境対策や医学研究,地球観測の予算を大幅に削る方針を打ち出した。一方で宇宙開発については,自身の任期中に月や火星への有人飛行を実現するよう要請した。トランプ氏が軽視しているのは,科学の知見というよりも,データと論理に基づいて事実を見極めるという科学の考え方そのものだ。
その背後には,米国社会の変容がある。科学の進歩が産業を発展させ,生活を豊かにするという20世紀のモデルそのものがほころびを見せている。科学がもたらした情報のグローバル化によって産業は大きく成長したが,一方で国内の雇用が失われ,富の偏在が大きくなった。高度に発達し複雑化した科学は一般の国民から遠くなり,その恩恵を想像しにくくなった。さらに,事実であることよりも多くの人の信念や感情に訴えることの方が社会への影響力を持つpost-truth(ポスト真実)が拡がり,インターネットがそれを加速した。
本特集では,アメリカと世界の科学の行方を展望する。次ページから始まる「トランプの激震」では日本経済新聞ワシントン支局の川合智之記者が,トランプ政権で今何が起きているのか,科学界がどのように反応しているかを現地から報告する。次いで日本経済新聞の滝順一編集委員が「変わる世界の勢力図」と題し,米国の変化を歴史的な流れの中に位置づけ,世界の科学に与える影響を多角的に解説する。「ネットで軽くなる『事実』の重み」では科学ライターの長倉克枝氏が,ネット上のコミュニケーションが現実社会に影響するメカニズムを探る。
世界中で勢いを増すpost-truthに,科学は抗うことはできるのだろうか。そのために今,何をすべきなのか。本特集がヒントになれば幸いである。
トランプの激震 川合智之
変わる世界の勢力図 滝 順一
ネットで軽くなる「事実」の重み 長倉克枝