日経サイエンス  2016年1月号

特集 :ビッグサイエンスを問う

貧困撲滅へ実証的アプローチ

D. カーラン(エール大学)

貧困との闘いを効果的に進めるには資金と善意だけでは不十分だ

何が役立ち何が役立たないかを知るためのデータがいる

 

資金がなければおカネを生み出すことはできない──貧しい人々が貧困から脱するのを助ける手段として1990年代に広まったマイクロローン(小口融資)は,この自明の考え方に基づいている。銀行は貧しい人に通常の融資はしないだろうが,少額ならリスクも小さく,借り手はそれを元手に小さな事業を速やかに興せる。経済学者のユヌス(Muhammad Yunus)とバングラデシュのグラミン銀行はこの新手法を実施する方法を調整し,2006年のノーベル平和賞を受賞した。

 

問題は,マイクロローンにいくらかの利点は確かにあるものの,最近のデータによると,融資を受けた人の所得も家計資産も食費も総じて増加していないとみられることだ。これらはその人の財政状態を示す重要な指標だ。

 

気前よくお金を与える支援が20年以上も続いているのに人々を貧困から救えていないということは,それらの対策が確かな根拠に乏しいことの証明だ。例えば米国の個人が年間に寄付する義援金は総額3350億ドルに上るが,多くの人はもののはずみや友人の勧めによって寄付しており,自分の寄付が本当に役立てられるのか確証があるわけではない。慈善団体も当該プロジェクトが本当にうまくいくかどうかを問わずに資金を出す例が多い。

 

幸い,現在はビッグデータの時代だ。かつては直感で決めていた判断を,確かな根拠に基づいて下すことができる。社会科学者たちは近年,どの慈善事業が役立ちどれが役立たないかという難しい問題に対処するために,ビッグデータのツールを利用し始めた。慈善事業を科学に変え,事業の有効性を示す強い証拠があるプログラムへ資金を振り向けるのが狙いだ。

 

 KEY CONCEPT

慈善事業を科学に変える

■ 慈善家たちは寄付対象の事業が貧困撲滅に本当に役立つかどうかを知らな いままにお金を出すことが多い。例えばマイクロローン(小口融資)は最 貧困層の平均収入を増やすのにはあまり効果がない。

■ 社会科学者たちはビッグデータ解析を武器に,どの方策が有効でどれがう まくいかないかを見極める試みを始めた。慈善事業を科学に変え,お金が 社会的に効果を上げる確証があるプログラムに資金を導くのが目標だ。

■ 科学的根拠に基づくプログラムが貧困撲滅の特効薬というわけではない が,重要な前進となるだろう。

私がマイクロローンを知ったのは1992年,ヘッジファンドに就職して身を立てるには少々回り道に思える経験を通じてだ。22歳だった私はエルサルバドルの大手マイクロレンダーでインターンをしたのだが,融資先(多くは女性)と地元経済に融資がどんな効果をもたらしているかをこの会社が把握していないことを知って驚いた。

 

彼らが知っていたのは多くの顧客がさらに融資を受けるために再び戻って来ることで,この“顧客保持力”を成功の証拠だとみていた。融資が助けにならなかったら再び借りに来るはずはないだろう,というわけだ。だが,マイクロローンが貧困脱出の助けになっている確かな証拠はどこにもなかった。上司に根拠を尋ねると,おざなりのアンケート結果を示された。私は疑問に思った。顧客の事業が成長を続けていない場合,再び借りに来るのはよい兆候ではなかろう。本当の成功は,必要としている人に一度だけ融資し,その後は追加融資を要しないくらいに借り手の事業が安定することだろう。

 

ある大きな非政府団体は巨額の助成金を得て貧しい人々を支援していたが,自分たちの支援事業が本当に役立っているか評価していなかった。営利企業は自社の業績を評価する基準を持っているのに対し,多くの寄付者は慈善団体に寄付の結果を尋ねる習慣がない。ときには寄付金のどの程度が間接費に回されるのかを問う人もいるが,そんな数字はほとんど無意味だ。問われるべきは,個人が慈善団体に寄付し政府が巨額の支援を実施するたびに問われるべきなのは,「これが本当に貧困緩和に役立つのか?」だ。人々の暮らしが,その事業を実施しない場合に比べてどれだけ変わると考えられるのか,ということだ。

 

この疑問に答えるため,私はウォール街に就職するのをやめて経済学の大学院に進んだ。折しも指導教官のクレマー(Michael Kremer)は,生徒たちのドロップアウト防止と教育の増進を図るうえでどのプログラムが有効かを調べるために,ランダム化比較試験を始めたところだった。公衆衛生などの科学分野で使われてきた手法を参考に,特定の資源を投入するグループ(実験群)と従来通りのグループ(対照群)のどちらかに学校を無作為に振り分け,両グループの間で学業成績を比較する。

 

これがヒントになって,私はマイクロローンに関する疑問に取り組むシンプルな実験を思いついた。教授にその計画を説明したとき,私はこれは付随的な研究であって学位論文のテーマではないと考えていた。それまでの2年間,計量経済学の高度な手法を駆使した複雑な論文を山のように読み,学位論文も同様でなくてはならないと思っていた。だが,いまでも鮮明に覚えているが,クレマー先生の助言は違った。いわく,重要な問いを発することが重要だ。自分の手法が複雑で“かっこいい”かどうかは気にするな。その問いにきちんと答えることだけを考えろ。

 

こうして私は大学院の4年目に南アフリカ共和国に渡り,マイクロローンが効果的かどうかを調べる最初の実験を始めた。小口融資を求めている個人を探すため,現地の人に手はずを教えてチームを組んだ。見つけ出したなかから適格者を選んで実験群と対照群にランダムに振り分け,実験群の名簿を金融機関に提供した。あとは彼らがリストの人物に接触して融資するはずだ。実に簡単に思えた。

 

ところがこの実験は無残に失敗した。融資候補の氏名を金融機関に伝えても,金融機関が当人を捜し当てるのに数カ月かかり,接触できずに終わる例もあった。また,私のチームで最も有能なメンバーを金融機関が引き抜き,新たな被験者を集められなくなった。

 

大学の学術研究を遠く離れた地で,科学的試験に求められる詳細なレベルで実施するのは難しいことを思い知った。科学を理解した信頼できる現場スタッフが必要だが,そのスタッフにはパートナーと共同して現場を切り盛りする社会的手腕も求められる。

 

2002年には私は教授となり,イノベーションズ・フォー・ポバティー・アクション (IPA)という非営利団体を設立して,金融や健康,教育,食物,平和,紛争後の復興などにおける知識ギャップを埋める試みを始めた。IPAはマサチューセッツ工科大学やエール大学などにいる私たち数理解析が得意な研究者と,世界18カ国の500人を超える熟練現地スタッフを結び,ランダム化比較試験を実施している。現在実施中の試験は500件近い。

 

このなかで得られた重要な知見として,人間の行動を考慮に入れた単純な対策が非常に大きな効果を上げうるという事実がある。塩素消毒器を水源のすぐ隣に目立つように設置すると,利用し忘れがなく,清浄水の利用が6倍に増えた。インドでの予防接種で毎月設営されるワクチン接種キャンプにレンズ豆の袋を置いて無料で提供すると,予防接種を完遂する子供の率が約6倍になった(接種キャンプに進んで足を運ぶ人が増えたため,総コストはむしろ安く済んだ)。また,携帯電話に簡単なテキストメッセージを送って注意を促すだけで,貯金から服薬の実行まで様々な目標を達成するのを効果的に支援できる。もちろん,すべてがうまくいくわけではない。何がうまくいき,何がうまくいかないのかを,突き止める必要があるのだ。

 

また,情報は解決策の一部にすぎないことも学んだ。学術界の専門家が重要な問題に取り組み続け,そこで得た答えを実際に利用できる人に手渡すには,地元政府や非営利団体,企業,銀行との強い関係が必要だ。

 

マイクロローンの問題は私たちを長年にわたって悩ませた。南アフリカでの私の最初の試みから15年たち,私たちはこれまでに通常のマイクロローンに関するランダム化比較試験を世界各地で7件,消費者金融に関する試験を南アフリカで1件,実施した。マイクロローンに関する7件はそれぞれ異なる研究チームが同様の設計に基づいて,ボスニア・ヘルツェゴビナとエチオピア,インド,メキシコ,モンゴル,モロッコ,フィリピンで行った。

 

この結果,マイクロローンには貧困家庭が窮状をしのいだり物品購入費を完済したり時には事業に少額の投資をするのを助けるなど,いくらかの利点があることはわかった。だが,財政状態の主要指標(収入,家計資産,食費)には総じて影響がなかった。一方,マイクロローン批判派には残念かもしれないが,大きなマイナスの影響もない。

 

では,世界で最も貧しい人々の所得を増やすには何が役立つのか?

私たちはごく最近,マイクロローンの欠点の一部に対処した別のプログラムについて調べた。マイクロローンを含め多くのプログラムは,残念ながら最も貧しい極貧層に届いていない。これら極貧の人々は1日1.25ドル未満で生活しており,その数は10億人以上,世界人口の1/7を占めている。貧困の原因は複雑に絡み合っていることが多いので単一の解決策ではうまくいかないが,世界最大の非営利機関であるバングラデシュのBRACが実施しているプログラムほか少数の例は傑出している。BRACの支援事業は極貧を複雑な解決策を要する複雑な問題としてとらえている。貧困からの“卒業”を目指す立場を取り,極貧層に現状を脱するために以下の6つを提供する。

 

1. 生計を立てるための「生産財」(家畜やミツバチの巣箱,小さな日用品店を開くための商品在庫など)

2. この資産の利用法に関する教習。

3. 日々の生活で必要となる出費をまかなう少額の定期的給付金。教習中に生産財を売却ぜずにすむようにする。

4. 働ける健康状態を保つための支援。

5. 将来に向けて貯金する方法。

6. 指導員が定期的に訪問して(通常は週に1回),技能の向上と信頼関係の構築を進め,貧困者が遭遇したあらゆる困難に対処するのを助ける。

 

フォード財団とワシントンにある貧困層支援協議グループ(CGAP)が意欲的な計画を携えて私を訪ねてきた。同じ支援プログラムを別の組織によって複数の場所で実施して比較する実験だ。私たちは最終的に,エチオピアとガーナ,ホンジュラス,インド,パキスタン,ペルーの6カ所でこの調査研究を実施した。

 

この結果,新たなことがわかった。支援事業が機能した場所では,いずれもうまく機能したのだ。支援事業終了から1年後に再び現地調査したところ,事業の影響はまだ続いており,人々の支出可能なお金と食料が増えていた。こうした利益に対するコスト(労働力,資産コスト,輸送費,間接経費)を計算した結果,総収益はガーナの113%からインドの433%まで,6カ国中5カ国でプラスになった。言い換えると,インドでは1ドルを投資すると,極貧家庭が食物などを購入できるお金が以前に比べて4.33ドル多くなるということだ。

 

総収益がプラスにならなかった例外はホンジュラスで,地元の支援機関が生産財として支給したニワトリが外来の品種で,地域の病気に抵抗性がなく死んでしまったのが原因だった。これは人為的な失策だったが,生産財が支援プログラムに必須の要素であることを実証した面もある。この要素が欠けると,他の5つの要素だけでプラスの効果を生むことはできない。エチオピアとインド,パキスタンではこの支援事業が拡大しており,コスト削減あるいはサービス向上などによって事業の効果をより高める方策が明らかになると私たちは期待している。

 

貧困を改善する万能薬は存在しない。最貧層を対象にした“卒業”支援事業は義援金に対する優れた見返りが期待できるが,それでも最貧層をマイカー所有の中流家庭に変えはしないだろう。IPAが掲げているビジョンステートメントは「モア・エビデンス,レス・ポバティー(支援事業の根拠が増えれば貧困を減らせる)」で,しかるべく控え目なものだ。私たちは貧困を根絶しつつあるわけではないが,適切な根拠をもって取り組めば重要な前進が可能なのである。■



再録:別冊日経サイエンス249「科学がとらえた格差と分断 持続可能な社会への処方箋」
再録:別冊日経サイエンス231「アントロポセン──人類の未来」

エール大学の教授。非営利研究団体イノベーションズ・フォー・ポバティー・アクションの創立者で代表を務めている。

原題名

More Evidence, Less Poverty(SCIENTIFIC AMERICAN October 2015)

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