日経サイエンス  2013年7月号

特集:量子の地平線

情報から生まれる量子力学

木村元(芝浦工業大学)

物理学者の多くは,内心「量子力学を理解した気になれない」と感じている。量子力学が語る現象が奇妙だから,ではない。それを言うなら「速く動くほど時間が遅れる」などと主張する相対論だって十分に奇妙だが,といって「相対論を理解した気になれない」と感じている物理学者はいない。

 

物理の理論の出発点となる原理の多くは,何らかの物理的な言明だ。「光の速さは観測者の速さによらず一定である」(相対論),「第二種永久機関は作れない」(熱力学),「加速度は力に比例する」(古典力学)などだ。こうした原理は実験で検証でき,検証できればそれは物理的な事実となる。事実から出発する理論は直観で理解できる。

 

ところが量子力学の理論はそうではない。その原理は物理的な意味がわからない抽象的な数学で書かれており,組み合わせて様々な計算をしないと,観測できる現象が出てこない。だから直観的に理解しにくい。また理論が正しいかどうか確認するには,数学原理から予測される現象をすべて検証する必要があるが,そうした現象は無限にあり,いつまで続けても終わらない。

 

量子力学の原理を,数学ではなく物理の原理に書き直すことはできないだろうか? そんな試みが進んでいる。新たな原理として最も有力視されているのは,ここ数十年,量子力学と深く結びついて発展してきた情報に関する原理だ。「この世界では,かくかくしかじかの情報技術を実行することが可能(あるいは不可能)である」。そんな情報原理から,量子力学を引き出すのが目標だ。

 

ここ数年で,量子力学の情報原理の有力候補が相次いで提唱された。誰もが納得する新しい量子力学原理によって,教科書が書き換えられる日も近いかもしれない。

 

 

再録:別冊日経サイエンス199「量子の逆説」

著者

木村元(きむら・げん)

芝浦工業大学システム理工学部助教。物理と情報,数学とのかかわりから,量子力学をどう理解するかを研究している。専門は量子論基礎,量子情報,確率論。最近は物理教育にも関心を持ち,量子力学の面白さを誤解のないように伝える方法にも頭を捻っている。表紙の原画は本人によるデザイン。少林寺拳法をたしなみ,大学部活の顧問・コーチを務める。

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