日経サイエンス 

別冊215 はじめに

日経サイエンス編集部

 アインシュタイン(Albert Einstein)の予言から1世紀を経て,重力波が直接観測された。重力波は時空の歪みが波の形で光速で伝わる現象だ。その存在は1970年代,中性子星という超高密度のコンパクト天体2つからなる連星の観測から間接的に検証されている。公転運動のエネルギーの減少量が,重力波が運び去るエネルギー量の理論値とよく合ったからだ。天体からの重力波は太古の昔から到来していたとみられるが,重力波が伝える時空の歪みは非常に微小であり,過去100年の科学技術の飛躍的な進展によって2015年9月にようやく直接観測が成し遂げられた。

 一般相対性理論の提唱は1915年,同理論を踏まえてアインシュタインが重力波を予言したのは翌1916年なので,重力波が実際に捉えられたのは同理論の提唱から100年,重力波初検出の発表(2016年)は重力波の予言から100年ということになる。

 今回の重力波は観測された日付(2015年9月14日)からGW150914と名付けられた。GWはGravitational Wave(重力波)の略だ。その波形は一般相対論による重力波の予想とぴったり合い,GW150914は約14億光年彼方にある,ブラックホール2つからなる連星の合体の際に生じたものであることがわかった。GW150914によって,宇宙を見る新たな窓,「重力波天文学」が開かれることになった。

 

 誰でも重力がどういうものかは知っている。赤ちゃんでも箱が予想通りに倒れなかったら驚くし,1歳にもなると,不安定な物体が倒れるか倒れないかを形によって区別する。科学者は重力を地球の引力,さらにはより一般的に,任意の2つの質量が引き合う力と考えるようになった。そしてアインシュタインが登場する。1915年の一般相対論で,重力は力というよりも,曲がった宇宙の副産物であることが明らかにされた。人が重力について日常の経験から知っていると思っていることはかなり違っているのだ。

 しかし1915年12月2日に発表された「重力場の方程式」は当初,学界以外ではほとんど注目されなかった。数年後,エディントン(Arthur Eddington)が率いた日食観測隊が,この理論を一夜にして有名にする観測を行った。アインシュタインは星の光が太陽の傍らを通る時に曲がるように見えると予測し,エディントンはこの湾曲を直接に確かめた。米New York Times紙は「科学者は日食観測の結果に熱狂」と報じた。

 それも当然だった。100年前に登場したこの一般相対論と,宇宙と物理世界に関するそれまで優勢だった認識との断絶はどんなに言っても言いすぎではない。時間と空間はもはや宇宙の現実の動きに対するただの背景ではない。むしろ時空として独自の形を持ち,その曲がり方が天体の運動を定め,人が地に足をつけていられるようにする。この理論によると光までもが時空の形をなぞる。一般相対論の影響は哲学,芸術,政治,大衆文化にまで及んだ。

 またこの100年,一般相対論は数限りない天文観測や物理実験によって,様々な角度から検証されてきたが,1世紀を経た後でも最重要ともいえる検証課題が残っていた。一般相対論が予言する重力波を直接観測し,その存在を確証することだ。それが米国に建設された重力波望遠鏡LIGOによって成し遂げられ,重力波さらには一般相対論をめぐる物語は大きな区切りを迎えた。

 

 第1章「重力波」の最初は,重力理論に造詣が深いカリフォルニア工科大学の大栗博司教授による重力波直接観測の意義に関する寄稿(「重力波の直接観測 3つの意義」)。続く「重力波とは何か」で重力波をわかりやすく簡潔に解説する。「GW150914の衝撃」は最初に観測された重力波の詳報で,その後,LIGOで新たに観測された重力波についても紹介する(「重力波天体を相次ぎ発見」)。日本でも,LIGOに匹敵する感度を持つ重力波望遠鏡KAGRAが奥飛騨山中の神岡鉱山の地下に完成,現在,本格稼働に向けて準備が進んでいる(「KAGRA始動」)。

 LIGOが捉えた重力波は天体の加速度運動によって生じるタイプだが,それとはまったく別の成因の重力波もある。原始重力波という(「ビッグバンから上がるのろし 原始重力波に挑む」)。宇宙そのものが超微小であった時,量子揺らぎによって空間に歪みが生じ,インフレーション(宇宙誕生直後に起きた宇宙自体の爆発的急膨張)と,その後の宇宙膨張によって数十億光年以上もの天文学的サイズにまで引き伸ばされ,それが重力波となって,宇宙全体を伝わっていると考えられている。今後,この原始重力波の探索もより注目を集めそうだ。

 

 第2章「ブラックホール」では4本の記事で多面的にブラックホールの研究最前線を紹介する。ブラックホールは一般相対論から存在が予言され,様々な天文観測で間接的に存在が確認されているが,決定的証拠は得られていなかった。また星の進化の研究からブラックホール連星の存在も予想されてはいたが,その存在を裏付ける観測事実はなかった。それがGW150914によってブラックホールの存在が確証されたばかりか,ブラックホール連星の存在も裏付けられ,しかも,その連星が合体してより大質量のブラックホールが形成される現場をも捉えることができた。

 現在,重力波の観測とは別に,地球規模の電波望遠鏡ネットワークを用いてブラックホールを調べるプロジェクトも進んでいる(「ブラックホールで一般相対論を検証」)。ブラックホールを宇宙誕生と結びつけた新説も提唱されている(「始まりは4次元ブラックホール」)。新説によると実は宇宙は4つの空間次元を持ち,その4次元宇宙で星が崩壊して4次元ブラックホールが生成され,それを取り囲む3次元の“殻”が,私たちが存在する3次元宇宙だという。

 光さえも逃げ出せないはずのブラックホールから粒子が漏れ出すというホーキング(Stephen Hawking)の発見は世界中の物理学者を悩ませてきた。このいわゆるホーキング放射の存在はブラックホール内部で情報が破壊されることを意味するように思えるが,量子力学は情報の消失を禁じている。この難局を切り抜けるための理論研究から1つの新説が提唱された。ブラックホールの縁を構成する「事象地平」には超高エネルギー粒子でできた「ファイアウォール」があるという(「時空の終端 ファイアウォール」)。またホーキング放射の存在から,事象地平のすぐ外側も非常に熱くなっていると考えられ,そこからエネルギーを取り出せるかどうか理論的な検討も行われている(「ブラックホールからエネルギーを取り出せるか」)。思考実験で用いるのはSF小説でおなじみの「宇宙エレベーター」だ。

 

 第3章「一般相対論100年を考える」ではアインシュタインの成果から私たちが学んだことを振り返り,それによってこれから解明されそうな宇宙や素粒子の謎を考える。「回顧を超えて 今なぜアインシュタインなのか」は世界的ベストセラー『エレガントな宇宙』などで知られる米コロンビア大学のグリーン教授(Brian Greene)による総説となるエッセイだ。続く「一般相対論誕生秘話」で天才アインシュタインが一般相対論への道を歩み始めた最初の閃きの瞬間を検証,「相対論の広がり」では明瞭な図解で,この理論が切り拓いた数多くの新しい研究分野を示す。近年でも一般相対論から驚くべき新発見がなされている(「曲がった時空の泳ぎ方」)。「思考実験 物理学者の心の旅」で述べられているように,アインシュタインはそうした真理を思考のみの力で明らかにした。間違いさえ実りある場合が多かった(「偉大なるミステイク」)。量子力学への不寛容はアインシュタインの大きな誤りとされるが,それは誤解のようだ(「神がサイコロを振る階層」)。

 一般相対論誕生から100年の歩みが重要なのは,その理論に未完成の部分があるからでもある。自然の他の力と統一して,万物の統一理論を樹立することだ。アインシュタインは晩年,宇宙(一般相対論の領域)を支配するだけでなく,量子力学が支配する原子内部の世界をも支配するような,より深奥の法則の探索に力を注いだ。アインシュタイン自身は,この夢が手の届くところにあると考えていたが,1世紀に及ぶ幾多の物理学者の苦闘をもってしても,自然の統一理論は得られていない。相対論と量子力学は相変わらず両立していない。最近は新たなアプローチがとられている。アインシュタインの時代以後に出てきた宇宙の謎,例えば暗黒物質(ダークマター)や暗黒エネルギー(ダークエネルギー)の問題が,それらを通じていずれアインシュタインの夢が実現するという期待のもとに研究されている(「万物理論を求めて 未解決問題の総仕上げ」)。相対論から導かれる奇怪な帰結の1つである「タイムトラベルの可能性」も,自然の奥底の秘密を解明する道となるかもしれない(「タイムトラベルを考える意味」)。

 この別冊は月刊誌「日経サイエンス」に掲載された記事を再録,編さんした。記事中の登場人物や著者の肩書きなどは特にことわりがない限り本誌初出時のものとしたが,訳者や監修者などについては最新のものに改めた。

 
 

2016年10月
日経サイエンス編集部

 
別冊215「重力波・ブラックホール 一般相対論のいま」 の目次へ