日経サイエンス 

別冊199 PROLOGUE

量子の過去と未来

細谷曉夫(東京工業大学)

 大学で授業をしていると,量子力学の基本問題に関わるところに来ると学生の関心が高まるのを実感する。アインシュタイン・ポドルスキー・ローゼン(EPR)パラドクス,ベルの不等式の破れ,アスペの実験といった,量子力学の本質を問いかける理論や実験をレポート問題として出題すると,原論文にあたる学生が40人中7,8人はいる。物理の専門家の間での反応はそれに比べると鈍い,と言わざるを得ない。一部の人たちは,量子力学の理解のレベルが昔学部で教わったこところで凍結していて,話題にもついてこられない。観測問題というだけで耳を塞ぐ人もいる。

 

ポピュラーサイエンスから物理へ

 

 日経サイエンスはこの10年以上,量子力学と量子情報の話題を積極的に取り入れてきている。そのモーティブフォースが,上記の若い人たちの熱い支持であると,編集者の古田彩さんからお聞きしている。私は,ここに,時代の転換期における,職業的科学者たちと初学者たちの意識のギャップを見る。それと連動しているが,専門誌に載る論文とポピュラーサイエンス誌の記事のスタンスの違いが際立つ。

 

 私が大学院生だったころは,相対論の研究は教師によく思われていなかった。特に,ブラックホールなどは数学的産物で,物理になっていないとさえ言われた。その一方で,そのころは沢山あったポピュラーサイエンス誌にブラックホールのことはよく載っていた。学生たちは,先生の言うことは脇において,ブラックホールの勉強をしていた。今日では,理論はもちろん観測的にもブラックホールの研究は物理の重要な一角をなしている。

 

 量子力学の基本問題の象徴と言うべきEPRパラドクスも,当時は“ やってはいけない” 研究という雰囲気があった。だがそのころからEPRパラドクスは,シュレーディンガ-の猫とともにポピュラーサイエンス誌のお得意のテーマであった。

 

 しかしながら,物理学会誌も2014年5月号からシリーズ「量子論の広がり―非局所相関と不確定性―」を始める。今昔の観がある。それと時期を同じくして,日経サイエンスから量子力学に関するこの別冊が出版される。私はこの符丁に時代の変化を感じる。もちろん,物理学会誌の方は研究者の間で認められている堅実な記事を連載していくと思われる。

 

 それと比較すると,今回の別冊日経サイエンスの中には,一歩も二歩も大胆に前に進んでいるものもある。そのことについての批判を聞くこともある。それは,一般誌は,専門家の間で確立したことだけを噛み砕いて一般人に解説すればよい,とする「啓蒙主義」に立脚した批判である。私は,一般論としては判断の難しい問題だと思うが,こと量子力学の基礎的問題については,今の段階で専門家の合意を待っているのは適切でないと思う。

 

 一つには,素粒子,物性理論を問わず,物理の専門家の間での十分に幅広い議論がなされていないことがある。また,そもそも20世紀初頭から論争の多い分野で,量子力学の専門家の間でもコンセンサスが取りにくい状況にある。量子力学の基礎的問題が,何かの事実の解明と言うよりは,量子力学をよりよく理解する(better understanding)ことが目的になっているためで,意見が分かれることが往々にしてある。だからと言って,主観的な議論をしているわけではない。むしろ,厳密な論理展開が要求される。

 

 このような現状で参考になると思うのは,朝永振一郎の名作「光子の裁判」である。出版された当時は,単一光子を用いた2重スリットの実験などはできなかった。光子の裁判において,弁護士ディラックが行った実況見分の内容は,理論的な予想にすぎず,実証されたのはずっと後になってからである。それを,一般向けの記事に書いた朝永さんの度胸に感心する。今回の別冊でも,「光子の裁判」は中心的なテーマの一つになっている(6ページ「光子の逆説」,42ページ「『光子の裁判』再び」)。この作品を支えているのは,平易な言葉で語られているが,厳密な論理展開である。

 

 読者は,この別冊をどのように読んでもよい。最近の話題はほとんどカバーしている。その中で10年後まで生き残るものはどれだろうか,と感性を鋭くして読んで貰いたい。ポイントは,論理展開の厳密さである。

 

基本問題を実証的に研究する時代

 

 文系の読者に注意を促したい。量子力学は,物理にはじめて登場した認識論的科学なのだ。ニュートン以来物理学は,対象の運動と観測者を分離して考えている。量子力学は,測定過程をも理論化しているという意味で,認識論的理論なのである。この問題は,量子力学が創設された20世紀初頭からあって,ボーア,アインシュタイン,シュレーディンガーたちの間に激しい論争を起こした。

 

 その論争は常に認識論的色彩を帯びていた。原子の中の電子は,ある定常状態から別の定常状態に遷移する間に何処にいたのか? その問いはまさに認識論的問いである。その議論の中から出てきたハイゼンベルクの不確定性関係は,そうした認識論的問いに否定的に答えようとしたものである。しかし,その後は物理学者たちの関心は原子物理学の方に向けられていった。20世紀の後半からようやく不確定性関係を捉え直す研究が日本から発信され始めたことは意義深い(CHAPTER1「不確定性原理」)。

 

 さらに,原子中の電子の運動を論じることに意味があるか,という古くからの問題にも切り込む弱値と弱測定の研究は,アハラノフたちによって30年ほど前から続いていたのであるが,最近になって,実験的研究も多数なされてきて,次第に浸透しつつある(CHAPTER2「見えない量子現象を見る」)。

 

 20世紀の物理学のほとんどは,原子核と素粒子も含む原子物理学の方に向けられた。それは,今日のレーザーをはじめハイテク技術を生み,社会的にも大成功を収めた。現在はその技術を使って,量子力学の基本問題を実証的に研究する新しい歴史的段階にある,と思う。

 

 ところが,物理学の主流にいる人たちの思考形態は,頑ななまでに存在論的であり,認識論的な思考をすること自体に困難をきたしているように思える。そもそも,量子力学の基礎的問題についての実験を提案しても意義を理解しない人たちも少なくない。「どうせ,量子力学に基づいた計算結果と一致するのだから実験する意味が無い」というのである。相互作用ハミルトニアンを決定するという,従来型の思考に囚われている。量子力学の基本原理の理解のための実験プロトコルの考案の意義と重要性を理解しないのである。こういう人を説得することは難しい。ハイゼンベルクが言ったように,人が入れ替わるしかない,のかもしれない。しかし,時代は確実に前に進んでいる。それを実感するには,前に触れた物理学会誌の量子力学シリーズと,今回の別冊を比較して読むとよいだろう。

 

 量子力学の本質を問うと,その奥深さに慄然とする。量子力学をより広い情報の文脈の中に位置づけようとする,少数ではあるがモチベーションの高い一群の研究者もいる(CHAPTER3「 実在と認識の狭間」)。

 

 一方で,量子計算機の研究(CHAPTER4 「量子コンピューター」)は応用研究である。実現すれば,社会的なインパクトは大きいだろう。一頃のフィーバーは終わり,もう少し多様で堅実な研究努力に移っている。その例として,量子コンピューターの提唱者であるドイチュの提示したものとは異なる量子計算のパラダイムが提案されている(131ページ「ボース・アインシュタイン凝縮で計算」,138ページ「注目集めるD-Waveマシン」)。ただ,量子コンピューター研究の目的は応用だけではない。量子計算を梃に物理どころか数学までも含む自然認識の新しい展開を論じる人もいる(108ページ「量子の限界を覆す」)。

 

 以上述べたような状況で,やや先走った今回の別冊が果たす歴史的役割を見届けたいと思う。そう遠い先のことではあるまい。

 

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著者

細谷曉夫(ほそや・あきお)

東京工業大学名誉教授。1969 年東京大学理学部物理 学科卒業,同大大学院博士課程を中退し73年大阪大 学理学部助手。74 年博士号取得。大阪大学講師,助 教授を経て88 年広島大学理論物理研究所教授,90 年 東京工業大学理学部教授。量子宇宙論の数学的側面を長年研究して いたが,「観測に結びつく物理学をやりたい」と,測定を直接に扱う量 子情報科学の研究を新たに始める。2012年に東工大を定年退職。そ の後は3つの大学で物理学を教えつつ,地域のサイエンスカフェで宇 宙と物理学について講演するなど,「前よりも忙しくなった」。著書に『量 子コンピュータの基礎[第2版]』(サイエンス社,2009 年)など。