日経サイエンス  別冊日経サイエンス

別冊169  数学は楽しい

まえがき 伸びやかに数学を楽しもう

瀬山士郎

 私たちは小学校以来長い間数学と付き合っている。少なくとも小学校6年,中学校3年,そして高校の1年+αと10年以上数学と付き合ってきたことになろうか。数学と付き合った?

 

 小学校で学ぶ算数は数学ではないという人もいるかも知れないが,そんなことはない。四則演算の計算の習熟,+や-,=などの記号の使用法,三角形や円などの図形の性質や美しさに触れること,そして何より合理的,論理的に装飾に迷わされず物事の本質を判断する能力を養うこと,どの1つをとってみても,算数の学びは数学の基礎練習そのものである。こうして私たちは10年以上も数学と付き合っている。それでも,高校卒業と同時に数学との縁を切ってしまう人も多い。表面上数学との縁を切ったように見えても,本当は生活のすべての面で私たちと数学とのつき合いは続いているのだが,多くの場合,数学は慎み深くはにかんで背後に隠れてしまい,その姿をなかなか見せてくれない。

 

 もう一つ,学校で学ぶ数学の姿はかなり一面的で,与えられた問題を解くことが数学であると誤解されている面がある。数学はそんな窮屈なものではない。もっと自由で楽しく,面白くいきいきとしたものである。しかしながら,そんな数学の姿を見ようとすると,たしかに多少の努力を必要とする。努力は必要とするのだが,その努力は必ず報われる。探し当てた数学の姿はどれも美しく,面白く,私たちの生活をより豊かにしてくれるはずである。もちろん,数学はどの分野でも私たちの文化をその根底から支えてくれている。そのような数学の姿を学校数学を通して学ぶことはとても大切だが,数学の勉強といういかにもかしこまった姿勢をちょっと脇に置いて,もう少し伸びやかに,あたかもミステリーや幻想小説,あるいは一風変わったSFを楽しむように数学を楽しんでみることもできよう。

 

 数学を読み解くには少しだけトレーニングが必要である。それは外国語で書かれた小説を読んで楽しむのと似ている。単語の意味を知り文法を知ることで私たちは外国語の小説を楽しめるようになる。そのためには乱読もまた必要なことだ。手当たり次第に数学を読んでみる,これも数学的経験の一つである。

 

 この別冊日経サイエンス169『数学は楽しい』は,過去に月刊誌「日経サイエンス」および「サイエンス」で取り上げられた数学関係のたくさんの記事の中から,読者の興味をさそって好評だった12本の記事を採録したものである。12本の記事が扱っている内容はバラエティに富んでいるが,大きく4つの分野に分けられる。それは,数(4編),形(2編),遊び(3編),数学とは(3編)の4分野である。しかしながら,この12本の記事をあらためて読んみると,数学は結局は1つの構造体なのだということが見えてくる。数,形,遊びはそれぞれが絡まり合い,互いに影響を与えながら,人間が持った最古の文化としての数学を発達させてきた。

 

 フェルマーの最終定理は整数論の問題として提起された。その解決に向けての大勢の数学者の努力は,整数論を大きく発展させた。しかし,その最終決着は楕円曲線論という幾何学によってなされた。楕円曲線についての谷山・志村予想がフライ,リベットの研究によりフェルマーの最終定理と結びつき,そこからワイルズの証明へと繋がっていく様子は現代数学の在り方をダイナミックに見せてくれる。さらに素数という古くからの研究対象が暗号理論などに応用される。そこには20世紀後半から爆発的に進化したコンピューターの数学への関与がある。コンピューターは数学における証明という概念を大きく変えるかも知れない。1976年のアペル・ハーケンによるコンピューターを駆使した4色問題の証明は,まだ手作業のコンピューターによる拡大という範囲内に収まっていたように見えるが,そのうちに,コンピューターは証明そのものを揺さぶるようになるかもしれない。それは計算できるとはどういうことか,というアルゴリズムの問題とも絡んでくる。読者はアルゴリズムの問題が不完全性定理という20世紀数学が生んだ最大の定理の1つと密接に関係してくるのを見ることになるだろう。

 

 同じことは遊びとしての数学についても言える。ホモ・ルーデンスを持ち出すまでもなく,遊び,遊ぶという行為は人が人であるための大きな要因であった。人が数で遊ぶこと,形と戯れること,それは数学と切っても切れない関係にある。「何の役に立つのか」とか「使ったことがないから学ぶ必要がない」などという貧しい数学観を笑い飛ばして数学と遊ぼう。数学で遊ぼう。レクリエーション数学の世界的な大家マーチン・ガードナーの言葉「初等数学の問題で,エレガントな,ときとして驚くほどエレガントな解答をもつものはレクリエーション数学である」にはっとさせられる。ガードナーの解説で多くの人が数学の魅力に気がついたことだろう。数学教育は遊びという要素をもっともっと取り上げていいと思う。数学で遊ぶというのは,数学が人が生きていく上で役に立っていることの十分な証である。古くは江戸時代,日本の庶民は数学を楽しみ,問題が解決したことを神に報告し共に喜ぶという習慣を持っていた。そのおおらかな数学観を,今だからこそもう一度振り返りきちんと評価したいものである。遊びの数学が深い意味で数学の本質とかかわり,子どもたちにとってもとても大切な意味のあることだ,ということを数学者,数学教育者はもう一度しっかりと心に留めておきたい。

 

 私たちはなんとなく数学とは単一の学問であると思っている。しかし,数学史を紐解いてみれば,じつは対立するいくつかの数学観があったことが分かる。数学の真理は神のような絶対的なもので,人とは無関係にこの世界の中に存在するものなのか,それとも数学の真理といえども我々人間が構築したものなのか。あるいは証明という数学の品質保証書はたんにここ数世紀の産物であって,数式による証明以外にも数学の品質保証書は発行できるのだろうか。これは数学の定理を人がどのように受け止めるかという大きな問題にも繋がっている。数学の真理は発見されるのか,発明されるのか。いま学校教育で数学論を学ぶことは少ない。しかし,数学といえども人の営みの1つなのだから,文学論や芸術論と同様,数学論についてもどこかで触れておくのはとても大切なことだろう。さまざまな数学論に触れることで,数学とはたんに提出された問題を解くだけだという学校数学で押しつけられがちな数学観を相対化し,別の視点で数学を眺めることができるようになるだろう。

 

 ここに集められた12編の記事はそれぞれが他分野とのつながりを視野に入れながら,全体として「数学の現在」を見せてくれる。本書を通して読者が数学を十分に楽しんでくれることを願っている。

 

 

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著者

【編者】瀬山士郎 (せやま・しろう)

1946年生まれ。東京教育大学大学院理学研究科数学専修を修了後,1970年から群馬大学教養部・教育学部に勤務。現在,群馬大学教授。数学教育協議会副委員長。専門は位相幾何学,線形代数学。現代数学を一般向けにわかりやすく伝える一方,数学教育にも取り組む。『はじめての現代数学』(ハヤカワ文庫),『トポロジー:柔らかい幾何学』『つきあってみると、数学!』(いずれも日本評論社),『幾何物語』(ちくま学芸文庫),『はじめてのトポロジー』(PHPサイエンス・ワールド新書)など著書多数。