別冊165

素粒子論の一世紀
湯川,朝永,南部そして小林・益川

日経サイエンス編集部 編

2009年5月22日 A4変型判 27.6cm×20.6cm 160ページ ISBN978-4-532-51165-4

2,000円+税

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2008年,ノーベル物理学賞を3人の日本生まれの研究者が受賞した。南部陽一郎氏の受賞業績は「対称性の自発的破れ」,小林誠・益川敏英両氏は「小林・益川理論」。日本には同じくノーベル賞を受賞した湯川秀樹,朝永振一郎両博士以来,世界に誇る素粒子論研究の伝統がある。3氏の受賞を機に,日本が大きな貢献をした素粒子論の一世紀を回顧・展望する。素粒子物理学研究の歩みを南部氏や小柴昌俊氏,小林氏など受賞者本人が語っている。
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日経サイエンス編集部 編

目次

 

はじめに

 

第1章 湯川秀樹と朝永振一郎

中間子論が拓いた核力の世界  坂井典佑
「くりこみ」が拓く量子の世界  金谷和至
朝永先生に酒を学んだ30年  小柴昌俊
湯川と朝永から受け継がれたもの  南部陽一郎

 

第2章 南部陽一郎の世界

対称性の破れが生む多様性  初田哲男・橋本省二(協力)/中島林彦
ひも理論とは何か  南部陽一郎
素粒子物理学の予言者  南部陽一郎/M. ムカジー
対称性の自発的破れとひも理論  南部陽一郎
南部さんと始まった研究人生  西島和彦
南部さん,西島さんとの60年  小柴昌俊

 

第3章 小林・益川理論とBファクトリー

6元モデルへの道  小林誠(協力)/中島林彦

CP対称性の破れの起源  三田一郎(協力)/中島林彦

巨大加速器実験,日米の闘い  高エネルギー加速器研究機構(協力)/中島林彦

 

第4章 不確定性原理をめぐって

新たな不確定性原理を求めて  山崎和夫・小澤正直(協力)/中島林彦
ハイゼンベルク先生と統一理論に挑んだ10年  山崎和夫

 

あとがき

 

 

 

はじめに

2008年のノーベル賞は物理学賞と化学賞あわせて4人の日本生まれの研究者の同時受賞となった。物理学賞はシカゴ大学名誉教授の南部陽一郎(なんぶ・よういちろう)氏と高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授の小林誠(こばやし・まこと)氏,京都大学名誉教授の益川敏英(ますかわ・としひで)氏の3 人。いずれも素粒子の理論研究での受賞で,1つの賞での3人同時受賞は初めてだ。

3氏ともすでに世界的に知られた存在で,研究業績は歴史に刻まれ,揺るぎないものになっている。振り返ってみれば,素粒子論では湯川秀樹(ゆかわ・ひでき)博士が1949年に,朝永振一郎(ともなが・しんいちろう)博士が1965年にノーベル賞を受賞している。同賞を2002年に受賞した小柴昌俊(こしば・まさとし)東京大学特別栄誉教授は受賞業績こそニュートリノ天文学だが,研究のベースは素粒子物理学の実験研究だ。小柴氏の後継者となった戸塚洋二(とつか・ようじ)氏は国際共同グループを率いて素粒子ニュートリノが質量を持つことを1998年に発見,素粒子論の枠組みである標準モデルに見直しを迫る成果として世界的ニュースとなった(戸塚氏もノーベル賞受賞が間違いないといわれたが,2008年7月に逝去された)。

このように日本は素粒子物理学,特に素粒子論で世界に誇る伝統があり,日本の研究者による研究業績をたどることで,約1世紀に及ぶ素粒子論の歩みのかなりの部分をカバーできる。素粒子論でノーベル賞を受賞した外国の研究者の業績も,その源をたどると日本の研究者の業績にたどり着く場合も多い。素粒子論とは,宇宙(万物)の起源を解き明かす学問。「日本は産業に直結する応用研究は得意だが,基礎科学に弱い」と言われることがあるが,実は最も基礎的な分野において,日本は世界の中で非常に重要な貢献を果たしてきたことになる。

本書は日経サイエンスに掲載された素粒子論の関連記事で構成した。記事の中にはノーベル賞受賞者である南部,小柴両氏の寄稿や小林氏が全面協力した記事も含まれている。以下では,素粒子論の1世紀を概観しつつ,本書の各章の概要を紹介する。(文中敬称略)

 

1920年代まで物理学の中心は欧州だった。まず英国のラザフォード(Ernest Rutherford)が原子核の存在を明らかにした(ラザフォードは1908年にノーベル賞受賞)。原子核の周りを回る電子の振る舞いを説明する量子力学はデンマークのボーア(Niels Bohr),ドイツのハイゼンベルク(Werner Heisenberg),オーストリアのシュレーディンガー(Erwin Schr?dinger)とパウリ(Wolfgang E. Pauli),英国のディラック(Paul A. M. Dirac)らが打ち立てた(ボーアは1922年にノーベル賞受賞,ハイゼンベルクは32年,シュレーディンガーとディラックは33年,パウリは45年に同賞受賞)。

日本の現代物理学の父と呼ばれる仁科芳雄(にしな・よしお)は1921年に欧州に渡り,最初はラザフォード,後にボーアのもとで研究員として7年間滞在,帰国後は物理学発展の土壌を育てた。京都大学を卒業して間もない若き湯川と朝永は,欧州から戻った仁科が京都大学を訪れて行った特別講義を聴いて感銘を受け,研究者として歩み始めることとなった。

 

第1章「湯川秀樹と朝永振一郎」 では,その湯川と朝永の研究を紹介する。湯川が挑んだのは,原子核を構成する核子(陽子と中性子)どうしを結びつける未知の力「核力」の理論だった。湯川は1935年,力を担う粒子(中間子)が核子どうしの間でキャッチボールされることで核力が作用するとする「中間子論」を発表,後に湯川が予言した中間子(現在のπ粒子)が発見された。現在においても,中間子論の概念は素粒子の世界を支配する力の理論の根本となっている。こうしたことから湯川は「素粒子理論の父」(南部)とも評される。一方,朝永が挑んだのは電子の電荷などを計算すると無限大に発散してしまう「発散の困難」の難問だった。朝永は1948 年,「くりこみ」という手法によって発散を消し去ることに成功した。素粒子論において「くりこみ」が可能かどうかは,その理論の死命を制するものとなっている。

こうした湯川,朝永の背を見ながら研究者としてのスタートを切ったのが南部や西島和彦(にしじま・かずひこ)であり,その南部や西島のバックアップを受け,実験家として大成したのが小柴だった。小柴は朝永とも深い交流があった。南部は1940年代後半,朝永グループとは別に独力で「くりこみ」を使った難しい計算を成し遂げ,朝永に実力を認められる。南部と西島は今や伝説となった大阪市立大学の理論物理研究室を立ち上げた後,南部は朝永の推薦で米プリンストン高等研究所へ,西島はドイツのハイゼンベルクのもとで研究するようになる。

 

第2章「南部陽一郎の世界」 では南部が成し遂げた仕事を中心に紹介する。シカゴ大学に腰を落ち着けた南部は1957年,新たに登場した超伝導の理論(BCS理論)に衝撃を受け,2年に及ぶ沈黙の末に,物理学の根本概念の1つ「対称性の自発的破れ」を発見した。これによって物質粒子の質量の起源という,これまた物理学の根本問題の解決に道が開けた。さらに,この南部の研究を踏まえ,ヒッグス(Peter W. Higgs)らは1964年,力を媒介する粒子に質量を与えるヒッグス機構を発表した。

一方,南部とともに研究人生を始めた西島は1953年,物質粒子の分類に関する「中野・西島・ゲルマンの法則」を発見した。この西島らの研究を受け,湯川に協力して中間子論をつくった坂田昌一(さかた・しょういち)は1956年,陽子と中性子,ラムダ粒子の3つを基本粒子とする坂田モデルを提唱,さらに,この坂田モデルを踏まえ,ゲルマン(Murray Gell-Mann)は1964年,クォークモデルをまとめた(ゲルマンは1969年にノーベル賞受賞)。

南部が提唱した対称性の自発的破れの概念はクォークモデルとヒッグス機構によって深化することとなった。中間子論で説明されていた核力は,クォークどうしを結びつける「強い力」として理解されることになり,南部は1965年,強い力の理論となる量子色力学の基本概念を発表するに至る。さらに南部は 1970年,量子色力学とはまったく異なる「ひも理論」を提唱,ひも理論によっても,クォークを核子の中に閉じ込められると説いた。ひも理論は現在,素粒子の存在そのものを説明する超ひも理論へと発展し,最先端の素粒子論の研究テーマになっている。
ヒッグス機構を踏まえた進展としては1967年,グラショウ(Sheldon Glashow)とワインバーグ(Steven Weinberg),サラム(Abdus Salam)が同機構を取り込む形で電磁気力と弱い力(放射性元素のβ崩壊などを起こす力)を統一する電弱統一理論を提唱した(グラショウら3人は 1979年にノーベル賞を受賞)。さらに同理論のくりこみ可能性がトフーフト(Gerardus ’t Hooft)らによって1971年に証明された(トフーフトは1999年にノーベル賞受賞)。こうした進展を踏まえ,坂田昌一の最後の弟子である小林誠と益川敏英が1973年に発表したのが「小林・益川理論」だった。

 

第3章「小林・益川理論とBファクトリー」 では同理論の誕生から,Bファクトリーと呼ばれる巨大加速器を使った実験による検証までの道のりを紹介する。トフーフトが電弱統一理論のくりこみ可能性を証明し,同理論が現実の素粒子世界を理解するのに有効であることが明らかになったとき,小林と益川が考えたのは,CP対称性の破れ(CPの破れ)への同理論の応用だった。
CPの破れは物質粒子と反物質粒子の間に見られる微妙な振る舞いの違いで,弱い力の作用によって起こる。1964年,K中間子の崩壊実験で発見された。しかし世界の数多くの研究者の努力にもかかわらず,なぜCPの破れが起きるのか,発見から10年近くが過ぎても理論的な説明ができなかった。小林と益川は電弱統一理論を前提に,クォークが当時知られていた3種類ではなく,全部で6種類あればCPの破れは自然に無理なく起きることを理論的に明らかにした。これが小林・益川理論だ。クォークの種類の数を倍増させる同理論はあまりに大胆で,当初,注目する研究者はほとんどいなかった。

小林・益川理論が発表された1973年,量子色力学に関しても大発見があった。クォークどうしは至近距離ではほとんど強い力が作用しないが,核子のサイズを上回る距離まで引き離そうとすると,強い力による引力が急激に強まり,完全に引き離すことは不可能であることが明らかになった。グロス(David J. Gross)とウィルチェック(Frank Wilczek),ポリツァー(H. David Politzer)が発見した漸近的自由性と呼ばれる性質だ(グロスら3人は2004年にノーベル賞受賞)。この漸近的自由性の発見と小林・益川理論によって,現在に至る素粒子論の基本的枠組み「標準モデル」が確立されることになった。

その後,小林・益川理論の予言通り新たに3種類のクォークが発見されたが,理論そのものの検証は持ち越されていた。突破口を作ったのは三田一郎(さんだ・いちろう)だった。三田は小林・益川理論を深く研究,B中間子の崩壊では,K中間子の場合よりもさらに大きなCP対称性の破れが起きる可能性が高いことを1980年代初頭に明らかにした。三田の予言を受け,日米両国は1990年代半ば,それぞれBファクトリーの建設に着手,小林・益川理論の検証一番乗りを目指して激しい競争を繰り広げることになった。そして2001年,日米のBファクトリーがB中間子におけるCPの破れを発見,小林・益川理論が検証されることとなった。

 

第4章「不確定性原理をめぐって」 は第3章までの話の前提となっている量子力学の基本概念である不確定性原理をめぐる話題を紹介する。不確定性原理はハイゼンベルクによって1927年に提唱された。中間子論の発想は不確定性原理が1つのベースになっており,同原理は近年まで不動のものと考えられていた。ところが2000年,小澤正直(おざわ・まさなお)によって不確定性原理を破るような状態が起き得ることが明らかになってきた。不確定性原理の誕生から現在までの約1世紀の歩みを振り返る。ハイゼンベルクのもとでは朝永や西島などが研究生活を送っており,日本の研究者とのゆかりが深い。そのハイゼンベルクの晩年,10年間をともにした湯川の弟子,山崎和夫(やまざき・かずお)が物理学の巨人の素顔をつづっている。

 

2008年12月の南部,小林,益川のノーベル賞受賞からさかのぼること2年,2006年12月に京都大学で「湯川・朝永生誕百年記念シンポジウム── 現代物理学の進歩」が開かれた。参加したノーベル賞学者はトフーフト,グロス,小柴,超流動理論のレゲット(Anthony J. Leggett)。大統一理論を提唱,陽子崩壊を予言したジョージャイ(Howard Georgi)や超ひも理論を創始したシュワルツ(John H. Schwarz)も講演した。これほどの顔ぶれがそろうシンポジウムは近年,日本ではなかった。南部も出席する予定だったが,風邪で参加取りやめとなった。
シンポジウムは湯川と朝永の業績を振り返るとともに,中間子論と「くりこみ」によって拓かれ,標準モデルへと至った素粒子論の道のりを俯瞰し,その道がどこに向かおうとしているのか展望する狙いで開かれた。そこでの議論で,特に海外からの研究者が改めて認識したのは素粒子論研究における日本の存在感だった。それは次のような問いに言い換えられる。「素粒子論の基礎をつくったのは,なぜ湯川,朝永,そして南部だったのか?」。

1920年代まで理論物理学の中心はまちがいなく欧州だった。量子力学はボーアやハイゼンベルクらによって提唱され,アインシュタインは相対性理論を打ち立てた。だとすれば核力の解明も,無限大の発散の困難の解消も,欧州の研究者が成し遂げて何の不思議もなかったし,戦後なら米国の研究者であってもよかったかもしれない。

しかし実際には1935年に湯川が中間子論を,1948年に朝永が「くりこみ」を世界に向けて発表した。南部の主要業績はいずれも渡米後のものだが,研究者としてのベースがつくられたのは戦前から戦後の混乱期の日本だった。南部は,湯川・朝永生誕百年記念シンポジウムを欠席していたにもかかわらず,参加者の間で大きな存在感を示すことになった。CPの破れの理論的解明を成し遂げたのも,戦後,素粒子論研究の中心となった米国ではなく,(米国の研究者から見れば)辺地であった日本の2人の若者だった。

日本は欧米よりも物理学研究の歴史が浅いので,過去の成功にとらわれることなく,ものごとの本質を見ることができたからなのかもしれない。究極の理論が存在したとして,それには取り得る解がたくさんあり,その中で人間が存在しうる解であるから今の宇宙があるという「人間原理」も真剣に考えられるようになった。そうした考えについては一神教の精神風土がない日本のほうが研究しやすいという見方がある。だとしたら,将来,第二の南部,そして小林・益川が登場する可能性はかなり高いかもしれない。

日経サイエンス編集部