日経サイエンス
日経サイエンスは米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版です。

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    別冊日経サイエンス157
    感覚と錯覚のミステリー
    五感はなぜだまされる
    日経サイエンス編集部 編
    はじめに
     
      目で見て,耳で聞き,鼻で匂いをかぎ,舌で味わい,触れて感じる……。私たちはいわゆる“五感”を頼りに外界を感知し,生活している。外部からの刺激はどのように取り入れられ,解釈されているのだろうか。事故や病気で失った足の痛みを感じたり,音楽を聞くと色が見えたり,単語を聞くと味を感じたり,といった不思議な例からも,人間の感覚はまだまだ多くの謎を秘めていることがわかる。本書は神経科学や脳科学,分子生物学など,さまざまな視点から感覚をめぐるミステリーに迫る。
     
    私たちは外界からの情報の8割以上を視覚を通じて得ているという。第1章「人間の目はなぜだまされるのか」は,視覚を中心に感覚の不思議を探る。「五感の遺伝子からみたヒトの進化」は,生物が環境に応じてどの感覚をどんなふうに発達させてきたかを,分子進化学の観点から分析している。一方,「鳥たちが見る色あざやかな世界」は,私たちが見ているよりもはるかに彩り豊かだ。「サルの色覚が教えてくれること」からは,なぜヒトが現在のような視覚を得たのか,その手がかりを得られるだろう。
     
    数字に色がついて見えたり,単語を聞くと味がしたりと,複数の感覚が混ざってしまう「共感覚」は,感覚の中でも大きなミステリーの1つだ(「数字に色を見る人たち 共感覚から脳を探る」)。一方,左右の目にそれぞれ異なるパターンを見せると,両方が交互に見える“両眼視野闘争”は誰でも体験でき,視覚と意識との関係を考えさせられる現象だ(「視覚から意識の世界をのぞく」)。視覚は重要ではあるが,視覚がなくても例えば絵を描くことはできる。「盲人はどのような絵を描くか」によると,ごく小さいときから視覚に障害のあった人も,透視画法などの絵画的手法を用いて絵を描けるのだという。
     
    目が視覚情報を脳に伝える仕組みは複雑だ。「網膜が生み出す12の動画」によると,網膜は外からの光情報をそのままではなく,輪郭や陰影など特徴を抽出して脳に送っている。この仕組みがさらに詳しく解明されれば,人工網膜の開発にも弾みがつくだろう。視覚情報でも重要な要素である色は,ものの固有の性質ではなく,私たちの脳で生まれる感覚だ。それだけに,わずかなトリックによって,脳は簡単にだまされてしまう(「脳が生み出す色の錯覚」)。
     
    第2章「五感の驚異」は,視覚以外のさまざまな感覚を取り上げる。動物は外部からの刺激を電気信号に変換し,脳でそれを感覚として解釈する。「神経信号を解読する」は,その信号を読み解き,将来は脳に“話しかける”ことも目指している。事故や病気で失ったはずの手足があるように感じ,ときに強い痛みを覚える「幻肢」という現象がある。これは刺激の入力がなくても,脳の中の神経ネットワークによって感覚を作り出すことができることを示している。こうした幻肢痛も含め,けがや炎症による痛みなど,「痛みを抑える」ために,痛みを感じる回路のさまざまな地点をターゲットにした研究が進められている。
     
    脳の中でも,小脳の働きは運動の制御だけだと考えられてきたが,知覚情報の統合など,重要な「小脳の知られざる役割」がわかってきた。「脳を揺さぶる音楽」では,脳で音楽がどのように処理されているのか,人間はなぜ音楽を好むのか,最新の研究を紹介している。「メンフクロウの両耳による聴覚情報処理」では,米国の第一線で鳥類の聴覚研究を続ける小西正一が,左右の耳からの情報をあわせて,音源の方向を特定する仕組みを明らかにしている。
     
    ヒトの嗅覚は他の哺乳類よりも退化しているが,それでも約1万種類の匂いをかぎ分けられる。R. アクセルは,匂いレセプターとそれをコードする遺伝子ファミリーを突き止め,2004年のノーベル生理学・医学賞を受賞した(「匂いの分子生物学」)。最後に登場するのは,ちょっと風変わりな生物,「ホシバナモグラの驚異の鼻」だ。その名の通り星形をした大きな鼻は敏感な触覚器で,その機能と重要度は,脳の体性感覚野とみごとに一致している。物理学者ホイーラー(John A. Wheeler)は,「どんな分野でも,一番奇妙なことを探してそれを研究するとよい」と言ったという。感覚の進化の過程を探るうえで,この奇妙な鼻が役に立つかもしれない。
     
    本書は月刊誌「日経サイエンス」に掲載された記事を再録,編さんした。著者と本文中の人物の肩書きなどは原則として本誌初出時のものだが,一部内容を加筆修正している(各論文の最後の「原論文」の項に「一部改訂」と示している)。訳者と監修者の肩書きは2007年8月時点のものとした。
     
    日経サイエンス編集部
 
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