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    別冊日経サイエンス151
    人間性の進化 700万年の軌跡をたどる
    プロローグ
     
      広がる人類進化の意識改革   馬場悠男  
     
      ここ数年の間に,私たち古人類学者は,人類進化に関するパラダイムの転換を迫られるような新事実にあいついで直面した。それは,十数年前に遺伝者から突きつけられたDNA分析とは違って,仲間の古人類学者や考古学者が新たに発見した化石人骨や文化遺物に基づく事実だった。

    一言でいうなら,人類進化の概念や枠組がとてつもなく広がったのである。たとえば,私たち人類は,DNA分子時計が予想した500万年前よりはるか昔にアフリカで誕生し,本当のヒトとはいえないような状態でユーラシアに拡散したことがわかった。また,ホモ・サピエンスは,ヨーロッパで洞窟壁画などの芸術を発達させるよりも前に,アフリカで芸術を開花させていた。さらに,私たちとは別に,とんでもない特殊化を遂げた人類種,ホモ・フロレシエンシスがつい最近まで東南アジアで生き延びていたというのだ。
     
      人間性とは何か
      このような新事実は,私たちヒトがほかの動物とちがう点,つまり「人間性」とでもいうべき特徴が,いつ,どこで,どのように,誰によって獲得されてきたかという問いに対する具体的な回答を,これまでの予測を大きく超えた範囲で示してくれることになった。

    「人間性」を示す主な特徴は,(1)手を自由にした直立二足歩行の獲得 (2)食性に対応する咀嚼器官の変化 (3)文化を生み出す大脳の拡大である。ところが,これらは人類進化の過程で一様に発展してきたというわけではない。それぞれ,私たちの祖先が変化しつつある環境にどのように適応したかという歴史的状況が違うからである。

    直立二足歩行は最初の人類である猿人が出現するときに大改革をとげ,その後,徐々に洗練されていった。大脳は,猿人の間はほとんど変わらなかったが,原人になってから急速に拡大した。一方,咀嚼器官の変化は複雑である。初期の猿人では犬歯が退化し,さらに猿人が乾燥した草原へ適応するときに臼歯が発達した。その後,原人になると,大脳の拡大に反比例して縮小の傾向があり,それらがヒトつまりホモ属の人類の進化を方向づけることになった。
     
      人類の進化を一望する──段階と系統
      人類の進化を理解するときに読者を悩ますのは,分類名と系統の複雑さだろう。ほかの生物と同様に,人類の種も,属名と種名を連記する二名法で示されている。たとえば,私たちが含まれるホモ・サピエンスはホモ属のサピエンス種である。これなら簡単だが,全体を理解するために,いくつかの種や属をまとめようとすると話が複雑になる。

    人類化石の発見が少なかった1970年代までは,1つの時代には1つの人類種がいて,猿人・原人・旧人・新人と段階的に進化してきたという考え方が支配的だった。やがて,数多くの人類化石が発見され,1つの時代に複数の種や属の人類がいたことがわかった。その結果,人類は段階的に進化したのではなく,何回も枝分かれして進化し,多くは絶滅し,現在ではホモ・サピエンスだけが生存していると認識されるようになった。ただし,猿人・原人・旧人・新人という呼称も,初歩的理解には便利であり,上記のような認識を踏まえた上で使うなら,差し支えないと考えられる。
       
      上図
       
      そこで,人類進化の地域と年代を4つの進化段階に対応させた図をつくったので,全体を一望していただきたい(上図)。その上で,現状で妥当と思われる人類の進化系統図を示し(下図),大きな適応放散にあわせて,系統を以下の3群にまとめたので,本書を読む際に参考としていただきたい。
       
      下図
       
      第1群は,アフリカでチンパンジーとの共通祖先から進化して,直立二足歩行を発達させるとともに,犬歯を退化させ,臼歯を拡大したが,脳をほとんど発達させなかった多様なアウストラロピテクスの仲間たちであり,猿人に相当する。これには,アウストラロピテクスのほかに,サヘラントロプス,オロリン,アルディピテクス,ケニアントロプス,パラントロプスという属が含まれる。

    第2群は,脳が拡大し,道具を本格的に使い,アフリカからユーラシア(アジアとヨーロッパ)にも広がったホモ属の人類であり,原人と旧人を含んでいる(本来は新人も含まれるが,新人は別に扱う)。原人には,ホモ・エルガステル,ホモ・エレクトス,ホモ・アンテセソール,ホモ・フロレシエンシスが含まれる(最近ではホモ・エルガステルをホモ・エレクトスに含める考えがあり,本書でもそのような扱いをしている)。なお,猿人と原人の中間といわれるホモ・ハビリスやホモ・ルドルフェンシスは,原人に含めるべきだろう。旧人には,ホモ・ハイデルベルゲンシスとホモ・ネアンデルターレンシスが含まれる。

    第3群は,洗練された思考と道具による卓越した環境適応能力を身につけ,つい最近にアフリカから世界中へ広がったホモ・サピエンスであり,新人に相当する。私たち自身の種である。

    なお,第1群は複数の属,第2群は複数の種,第3群は1種によって構成されているのは,昔のことはよくわからないので大くくりになっているということもあるが,時代が進むにつれて人類の環境適応力が高まり,少ない属や種で多様なニッチを占めてしまうと解釈するべきだろう。
     
      ジャワ原人の研究から現代人の起源を解明する
      私たち現代人(新人,ホモ・サピエンス)の起源を巡っては,1980年代後半から1990年代にかけて,旧来の「多地域進化説」と新しい「アフリカ起源説」が対立し激しい議論を重ねていた。2000年代になると,人骨化石,考古遺物,DNAなど多くの証拠からアフリカ起源説が圧倒的に優勢になった。現在では,数万年ほど前にアフリカから旅だって世界中に広がったホモ・サピエンスが,ユーラシアに住んでいた原人や旧人とわずかでも混血したかどうかが焦点となっている。

    サピエンスが拡散し始める前のユーラシアでは,中央から離れた東西両端で独自の進化を遂げた集団があった。周氷河の寒冷気候に閉ざされたヨーロッパのネアンデルタールと熱帯の海によって大陸から隔てられたインドネシアのジャワ原人である。この両集団がサピエンスの進入によってたどった運命が問題なのだ。

    本書に収録した「消えたネアンデルタールの謎」では,ネアンデルタールとサピエンスの混血が主張されているが,かなり割り引いて読んだ方がよい。なぜなら,ネアンデルタールがサピエンスと違っている形態特徴の多くがここでは採りあげられていないからだ(別冊日経サイエンス127「最後のネアンデルタール」参照)。また,その後,4カ所の遺跡のネアンデルタール人骨からDNA塩基配列が解析されたが,現代人と一致する配列は見つかっていないからでもある。塩基配列の違いからネアンデルタールとサピエンスの分岐年代を推測すると50万年ほどになり,両者を別種と見なす方が良さそうである。

    一方,ジャワ原人に関しては,1993年に出版された別冊日経サイエンス108「現代人はどこからきたか」の中で,筆者は,ジャワ原人の顔面形態分析から,ジャワ原人が東アジア人とオーストラリア先住民の共通祖先になりうることを指摘し,「二地域進化説」を提唱した。つまり,「多地域進化説」を部分的に擁護したのである。しかし,その後,ジャワ原人の化石資料が整い,研究を進めると,ジャワ原人がサピエンスに進化した可能性は事実上無いことが明らかになったので,訂正をかねて以下に説明する。

    そもそも,多地域進化説の最大の根拠は,ジャワ原人がオーストラリア先住民に進化したというものだった。たしかに,一見すると前期ジャワ原人(サンギラン17)はオーストラリア先住民化石(カウスワンプ1)と似ている。しかし,後期ジャワ原人(ガンドン12)は前期ジャワ原人ともオーストラリア先住民化石とも違う特徴を持っているので,進化の流れがよくわからなかった。

    そんなとき,2001年秋に,はじめて保存の良い中期ジャワ原人の化石(サンブンマチャン4)が発見され,その形態を分析したところ,前期ジャワ原人と後期ジャワ原人の中間の特徴を持つことがわかった。つまり,ジャワ原人は前期から中期をへて後期へと独自の特徴を発展させたことが明らかになった。ジャワ原人は,他の地域から隔離され,特殊化を遂げたのである。そうすると,特殊化した後期ジャワ原人が短時間でオーストラリア先住民に進化する可能性は事実上有り得ないと言える。

    この私たちの研究は,多地域進化説の最後のよりどころを否定したことにより,間接的にアフリカ起源説を擁護することになった。アフリカから数万年前にジャワ島にやってきたサピエンスは,ジャワ原人を絶滅させて,オーストラリアに渡り,オーストラリア先住民になったのである。その際,おそらく100万年以上にわたって遺伝子交流のなかったジャワ原人とサピエンスは,全く混血しなかっただろう。
     
      国立科学博物館の人類進化フロア
      ここで,2004年11月に開館した国立科学博物館新館の宣伝をさせていただこう。人類進化フロアでは,最新の成果に基づく展示が行われている。本書22ページ「最古の人類に迫る 700万年前の化石の謎」で触れられている新しく発見された人類化石に関しては,まだ研究中のためレプリカが入手できずパネル展示のみだが,それ以降の年代では,化石や考古遺物あるいは映像を用いてわかりやすい工夫がなされている。情報端末器も内容が豊富である。

    たとえば,猿人ルーシー,原人トゥルカナ・ボーイ,旧人ラフェラシー(ネアンデルタール)の骨格と生体が対になった復元では,彼らが来館者の前に突然つれてこられたときの反応を想定した場面設定をしてあり,科学的な正確さだけでなく芸術性も考慮してある。

    本書に収録の「グルジアの化石が明かす 初期人類の旅」で述べられているドマニシ遺跡に関しては,地元のグルジア国立博物館に先駆け世界初に作られた展示コーナーがあり,発掘の模様や化石標本などが説明されている。ドマニシ遺跡発掘責任者でグルジア博物館長のロルドキパニゼ教授がロレックス賞を取った経緯も飾ってあり,来日した本人もご満悦だった。私たちとインドネシア研究者との共同で実施されているジャワ原人化石の調査研究のコーナーも隣に設けてある。

    人類進化フロアでは,従来のように進化段階にそって均等割をするのではなく,ホモ・サピエンスのスペースを大きく取った。私たちの祖先がアフリカを旅だって世界各地の環境に主として文化的に適応しながら拡散していった様子を,世界地図の上を歩いて追体験できる展示構成としたのである。そのために,当館人類研究部の海部陽介が中心となって,国内外の多くの考古学者の教示を受けながら人類学と考古学の融合を試みた。結果的に,考古学者からも高い評価を受け,成功したと判断している。

    特に,本書に収録「人類の文化の夜明け 早かった象徴表現の起源」で問題となっているブロンボス洞窟で発見された貝殻のビーズや斜交叉模様の刻まれたオーカー(赤色顔料)の展示は,サピエンスの文化がヨーロッパより早くアフリカで開花していた証拠として,目立たないが圧倒的な重みがある。
    著者
    馬場悠男(ばば・ひさお)
    国立科学博物館人類研究部部長,東京大学大学院理学研究科教授(併任)。長年,インドネシアの研究機関と共同でジャワ原人の学術調査に取り組んでおり,1997年には80万年前のものとみられるジャワ原人の化石を発掘した。