日経サイエンス  1998年7月号

算額に見る江戸時代の幾何学

トニー・ロスマン(テキサス大学) 深川英俊(春日井高校)

 鎖国下にあった江戸時代,神社仏閣の軒下に美しく彩色を施して幾何の問題を記した絵馬「算額」を掲げる習慣があった。絵馬はもともと本物の馬のかわりに馬の絵を板に描いて神社に奉納したものだが,算額では馬ではなく数学の問題を記してある。算額が神社仏閣に奉納されたのは,困難な問題をやり遂げたことに対する神への感謝であったか,あるいは他の参拝者に「解けるものなら解いてごらん」と挑戦したものかもしれない。

 

 現存する最古の算額は栃木県の1683年のもので,確認されているだけで日本全国で880枚以上の算額が見つかっている。算額に記されているのはほとんどがユークリッド幾何学の問題だ。そのレベルについても,西欧の数学より何年も早く高度な定理を扱っていたものも少なくない。関孝和は江戸時代に活躍した和算家として有名だが,彼はライプニッツより10年早く行列式の展開を扱う一方,1458次という高次方程式の解法も発展させている。

 

 鎖国によって海外との交渉を断っていた江戸時代は,日本が数々の独自文化を生み出した時代でもあるが,数学の面でも世界的にかなり高度な独自な世界を築き上げていた。算額はそうした文化的背景の中から生み出されて来たのだろう。算額を奉納したのは,当時の知識階級である武士だけでなく,商人や農民などあらゆる階層の人々にわたっていたと考えられている。「当時の人々は芸術や俳句を楽しんだように,数学を楽しんだ」と,著者の一人である深川は言っている。(本文より)

著者

Tony Rothman / 深川英俊

ロスマンは1981年に米オースチンのテキサス大学で博士号を取得,現在は同大学客員研究員。オックスホード,モスクワ,ケープタウンの各大学でポスドクとして研究歴を積み,ハーバード大学で教鞭をとった。これまでに6冊の本を出版。最も最近の著書は「Instant Phisics」で, スダーシャン(E.C.G.Sudarshan)とともに次に予定している「Doubt and Certainty」は今秋,Helix Books/Addison-Wesleyから出版される。最近は核融合に関する小説も書いている。今回の記事作成に全面協力した深川は愛知県立春日井高校教諭で,和算の数学的考察と,その教育への応用を研究している。ブルガリア科学アカデミーから博士号(理学・数学)を授与された。
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原題名

Japanese Temple Geometry(SCIENTIFIC AMERICAN May 1998)