日経サイエンス  1998年4月号

母親の心音で赤ちゃんは安心するか

川上清文(聖心女子大学) 高井清子(日本女子医大) 清水幸子(昭和大学) 矢内原巧(昭和大学)

 学界で常識化している知識が,一般の人までなかなか浸透しない例は,別に珍しくはないだろう。関係者の努力不足と言ってしまえばそれまでだが,私たちの場合は,もどかしさを通り越して,危機感さえ覚える。なぜなら,私たちの研究対象は,誰にとっても身近で大切な存在であるはずの「赤ちゃん」だからだ。

 

 多くの人が,母親の心臓の音や胎内音に,赤ちゃんを落ちつかせる効果があると信じている。確かに,それは間違いとはいえない。しかし,それが,赤ちゃんと母親の結びつきの強さから来ると単純に考えることはできない。赤ちゃんを泣き止ませるには,もっと効果的な音があるからだ。ホワイトノイズである。

 

 ホワイトノイズは,テレビの放送終了後に流れるザーという音に近い。雑音としか聞こえないこの人工音に,なぜ赤ちゃんを泣き止ませる効果があるのか。これを理解するには2つの考えを捨てなければならない。1つは,生まれたての赤ちゃんはまったくの無力で何もわかっていないという考え。もう1つは,赤ちゃんは母親との関係だけで生きているかのような“母親神話”である。(本文より)

著者

川上清文(かわかみ・きよふみ) / 高井清子(たかい・きよこ) / 清水幸子(しみず・ゆきこ) / 矢内原巧(やないはら・たくみ)

川上と高井は発達心理学者,清水と矢内原は産婦人科医である。4人は共同で一連の実験をしている。川上は1987年に慶應義塾大学大学院で教育学博士号を取得。ニュージャージー医科歯科大学訪問准教授などを経て,現在は聖心女子大学教授。高井は日本女子大学大学院を修了後,同大学の助手などを経て,現在,講師。医学の博士号をもつ。2人は胎児,新生児,乳児のストレスに対する反応に関心を持っている。清水と矢内原はともに医学博士で,昭和大学に勤めている。清水は昭和大学大学院を修了後,同大学医学部助手。米国留学を経て,現在,産科婦人科教室の講師。矢内原は慶應義塾大学を卒業後,東京大学の医学部に入局し,1968年に博士号を取得。ピッツバーグ大学のアシスタントリサーチ教授を経て,昭和大学医学部教授。著者たち4人は,実験に協力してくれた医師・看護婦,そして新生児に謝意を示している。