日経サイエンス  1997年12月号

世界の人口を養う“窒素”の光と影

V. スミル(カナダ・マニトバ大学)

 人類はさまざまな努力を重ねて食糧増産に励んできたが,農作物の生育に不可欠な窒素の不足が大きなネックとなって,思うように生産性が上がらなかった。ところがアンモニアの工業生産が実現した結果,これを原料とする窒素肥料の飛躍的な増産が可能になった。現在,全人類が摂取するタンパク質中の窒素の1/3は,合成肥料に由来する窒素で賄われている。

 

 しかし,合成肥料の大量散布は,反応性がある大量の窒素を土壌や湖沼などに放出することでもある。肥料に由来する硝酸塩が農地からしみ出て,湖沼や湾を富栄養化させている。これにより植物プランクトンが大発生し,それが腐敗する際に酸素を消費するため,水中が酸欠状態になり,魚などほかの生き物が大きなダメージを受ける。

 

 農地に残留する窒素化合物は土壌を酸性化させる。石灰などを散布して酸を中和しないと,酸性化した土壌では微量栄養分が失われ,重金属が土壌から流出して飲料水などを汚染することになる。また土壌中の細菌のはたらきで亜酸化窒素(N2O)という無色のガスに変えられて大気中に放出されるようになる。これが活性度が高い酸素と反応することでオゾン層破壊に一役買っている。地球温暖化をもたらす温室効果ガスの1つとしても注目されている。

 

 合成窒素肥料を使い始めたとき,人々は環境に与える負の側面を見通せなかった。現在においてさえ,その功罪の「罪」に関する人々の認識は驚くほど低い。とくにCO2との対比で考えると,状況はよりはっきりする。膨大な量の反応性がある窒素の環境放出は,CO2の環境放出と同様,壮大で危険な地球化学の実験なのだ。(本文より)

著者

Vaclav Smil

プラハにあるカロリナン大学とペンシルベニア州立大学で学ぶ。現在,カナダ・マニトバ大学教授(地理学)。環境とエネルギー,食糧,人口,経済,政策などに広くまたがる学際領域の研究に取り組んでいる。

原題名

Global Population and the Nitrogen Cycle(SCIENTIFIC AMERICAN July 1997)