日経サイエンス  1996年8月号

遺伝する知的能力と教育環境

安藤寿康(慶應義塾大学)

 肉体的な形質と同じように,知的能力や性格などといった心的形質も多かれ少なかれ遺伝の影響を受けている。そして,肉体的形質と同じように,環境の影響ももちろん受けている。注目する心的形質に対して,遺伝と環境の両方の影響がどれだけ効いているのかを探ろうとするのが,人間行動遺伝学の基本的な立場である。

 

 優生学で悪用された歴史があるため,知能と遺伝を論じることさえタブー視する傾向があるが,遺伝の影響があることは紛れもない事実である。しかし,遺伝の影響がその人の能力の限界を決めているとするのは,遺伝に対する誤解である。

 

 著者は小学校6年生の一卵性と二卵性の双生児に,きょうだいが別々のグループに入るような2つの方法で英語の授業し,教育法と遺伝の関係を調べた。すると,遺伝の影響は認められるものの,それぞれの授業法で重視している部分が伸びるという結果がでた。また,もともともっている遺伝的素質に合う授業法とそうでない授業法があることもわかった。当たり前のことのようだが,遺伝は決定的でも不変的でもなく,教育の影響もあり,しかも,遺伝と教育の交互作用があることが示されたのである。

 

 また,遺伝の影響の寄与率は一生涯を通じて同じではないことも人間行動遺伝学の研究でわかっている。

 

 ここでは,おもに知能指数について取り上げたが,性格や好みなどにも遺伝の影響があり,それを研究している行動遺伝学者がいることをつけ加えておく。

著者

安藤寿康(あんどう・じゅこう)

慶應義塾大学文学部助教授。専門は教育心理学と行動遺伝学。Scientific Americanのシニアライターであるジョン・ホーガンが「米国で流行する“優生学”」(日経サイエンス1993年8月号,原題はEUGENICS REVISITED)で,人間行動遺伝学を揶揄しているように書いてあるのを読み,日本の読者に正しく理解してもらいたいと考えたのが執筆の動機である。