日経サイエンス  2010年3月号

ATPの意外なはたらき

B. S. カーク(カリフォルニア大学ロサンゼルス校) G. バーンストック(ロンドン大学ユニバーシティカレッジ)

 ATPはあらゆる細胞で使われているエネルギー分子だと,学校で習った人が多いだろう。私たちの生存に必要な代謝や細胞の活動のための燃料になっているのだ。だが,このATPが細胞から細胞へと重要な生体情報を伝えていることはあまり知られていない。

 

 著者の一人バーンストックは今から50年ほど前,ATPに神経伝達物質としてのはたらきがあると提案したが,多くの神経生理学者から疑いの目で見られた。エネルギー分子としてあまり有名で,体中どこにでも大量に存在する物質に特別な作用があるとは考えにくかったからだ。だが,1990年代になると分子生物学的な解析手法が発達して,さまざまなATP受容体が発見され,ATPの驚くべき作用が明らかになっていった。

 

 ニューロンからニューロンへ,あるいはニューロンから筋肉へと細胞を超えて情報を伝えるとき,ATPはほかの神経伝達物質と一緒に細胞のすきまに放出される。受け手となる細胞には専用の受容体があり,ATPと結合してすぐさま一連の反応を引き起こし,細胞の活動を変化させる。ATPが伝える情報は筋肉の収縮と弛緩の制御や傷口の修復に関するもの,味や音などの感覚,痛みなど,実にさまざまだ。胎児の発育段階では,ATPが器官の発達シグナルになっていることもある。

 

 このようなATPのはたらきが明らかになり,製薬各社はATP受容体を標的とした疾患治療薬の開発にしのぎを削っているっている。ATPがこれだけ体中で幅広くはたらいているのを考えると,1つの臓器や組織だけに作用し,体のほかの部位に副作用を起こさない医薬品を開発するのは難しく聞こえるかもしれない。だが,異なる種類の細胞でタイプの異なるATP受容体が見つかっているので,特定の組織をターゲットにすることも可能になると思われる。

著者

Baljit S. Khakh / Geoffrey Burnstock

カークはカリフォルニア大学ロサンゼルス校デビッド・ゲフィン医学部の生理学と神経生物学の准教授。ATP研究に新しい解析手法を取り入れ,ATP受容体を遺伝子操作で改変し,ATPとの結合やATPに対する反応を光で捉えられるようにした。バーンストックはATPが情報伝達分子であることを初めて提唱した。22年間にわたり,ロンドン大学ユニバーシティカレッジで解剖学と発生生物学の教授を務める。現在は同大学医学部の自律神経科学センター長。数々の賞を獲得,表彰されている。2人は1994年にウィーンのコーヒーショップで出会い,そこでアップルストゥルーデル(訳注:リンゴなどの果物やチーズなどを薄い生地に巻いて焼いた菓子)よりもATPの議論に熱くなった。

原題名

The Double Life of ATP(SCIENTIFIC AMERICAN December 2009)

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