日経サイエンス  2010年2月号

脳が生み出す理不尽な痛み/慢性疼痛治療の新戦略

R. D. フィールズ(Neuron Glia Biology誌) 古田彩(編集部)

 ケガや手術の傷がすっかり癒えた後も,激烈な痛みが続く。何カ月,何年たっても消えない──そんなつらい状況に陥っている人は少なくない。原因がなくなっているにもかかわらず痛みが消えないのは,身体の損傷を検知して脳に伝える痛覚回路そのものに異常が起き,誤作動しているからだ。神経線維が物理的に接触して触覚や温度の情報や痛みに変換されてしまったり,痛みを感じるニューロンが異常に敏感になって,ほんの些細な刺激で発火したりする。このようにして生じる痛みを「神経障害性疼痛」と呼ぶ。

 

 神経障害性疼痛の原因は多岐に渡る。交通事故や,胸や腰の手術に伴う受傷のほか,捻挫のようなありふれたケガや,採血のために注射針を指すといったごく些細な刺激でも起こりえる。糖尿病や脳卒中などの病気のために神経が損傷して起きることもある。

 

 神経障害性疼痛の原因である神経回路の誤作動を直接に治す方法は,まだ見つかっていない。既存の鎮痛剤や治療法の効果は限定的で,痛みは長期間続く。このため「慢性疼痛」と呼ばれることもある。

 

 近年の研究から,神経障害性疼痛の発生には,痛みを伝えるニューロンだけでなく,脳や脊髄にあるがニューロンとは違う「グリア細胞」が深くかかわっていることが明らかになった。グリアは痛覚回路におけるニューロンの振る舞い監視し,神経の損傷などによってニューロンが強い痛み信号を出すと,すみやかに脳に伝わるように痛覚回路の感度を上げる因子を放出する。またサイトカインを出して炎症を起こし,周囲の神経線維を敏感にする。グリア細胞のこうした反応は治癒を促す効果があるが,長く続きすぎると,脳神経系の慢性的な過敏状態を引き起こし,慢性疼痛の発症につながる。

 

 グリア細胞はまた,医療用麻薬への耐性にもかかわっている。慢性疼痛の患者には,麻薬性鎮痛剤が処方されることがしばしばあるが,次第に効きが悪くなり,量や頻度を増やさないと効果が得られなくなることが多い。グリアはこうした麻薬系鎮痛剤の効力低下や,逆に中止した際の禁断症状の増強をもたらしているとみられる。

 

 こうした知見を踏まえ,最近では,ニューロンでなくグリア細胞をターゲットにした薬剤の開発が進んでいる。グリアの働きを抑制することで慢性疼痛を軽減したり,医療用麻薬の効果を増強して禁断症状を和らげたりするものだ。いくつかは臨床試験の段階に入っており,治療の選択肢が増えるかもしれない。

著者

R. Douglas Fields / 古田彩

フィールズはNeuron Glia Biology誌編集長。SCIENTIFIC AMERICANに脳に関する記事をよく寄稿しており,その翻訳が日経サイエンスに掲載されている。最近では「脳の隠れた主役 学習と白質の意外な関係」(2008年6月号),「サメの第六感 獲物をとらえる電気感覚」(2007年11月号)がある。近く刊行される予定の著書「Other Brain」(Simon & Schuster)では,健康な時と病気の時に,グリア細胞がそれぞれどのように脳機能を調節しているかを解説している。古田は本誌編集部。

原題名

New Culprits in Chronic Pain(SCIENTIFIC AMERICAN November 2009)

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