日経サイエンス  2008年5月号

歌声の科学

I. R. ティッツェ(アイオワ大学)

 もし楽器制作者がヒトの発声器官をオーケストラで使われる楽器と比べたら,おそらくたいして高くは評価しないだろう。声を生み出す喉頭とそれを含む気道の大きさは,サイズで分類すれば楽器の中でもっとも小さなピッコロほどだからだ。

 

 それでも経験豊かな歌手の歌声はあらゆる楽器に劣らず,フル・オーケストラにも引けをとらない音楽を奏でることができる。ヒトの歌声はなぜこれほど幅広い音を作り出すことができるのだろう? 最近の研究によって,ヒトの発声にかかわるそれぞれの器官の働きとその相互作用に驚くべき複雑性があることがわかってきた。

 

 これまでは,音源となる声帯と共鳴器となる気道はそれぞれ独立して機能すると考えられてきたが,いまでは,それらが互いに影響し合う「非線形」の相互作用が,思いもよらない大きな役割を担っていることがわかってきた。この非線形性によって,偉大な歌手がすばらしい歌声を生み出すしくみを説明できるようになった。

 

 音源となる声帯は靱帯と筋組織,粘膜の3つの構造でできており,これらが微妙な力加減で幅広い音を作り出している。共鳴器となる気道は,他の楽器に比べて非常に短いが,非常に効率的だ。ブランコをタイミングよく揺らして振れ幅を大きくするように,声門を閉じたときに生じる空気圧を利用して音を増幅する。このようにわずかな力で大きな出力を得る非線形効果によって,ヒトの小さな発声器官は効率的な楽器へと進化した。

 

 

再録:別冊日経サイエンス210「アートする科学」

著者

Ingo R. Titze

ヒトの発声について500以上の論文を発表している第一人者。現在,アイオワ大学財団特別名誉教授で,同大学の言語病理学科所属,またデンバー・パフォーミングアートセンターのナショナルセンター・フォー・ボイス・アンド・スピーチ(http://www.ncvs.org)の所長。1972年にブリンガム・ヤング大学で物理学Ph.D.を取得。声楽を教えるかたわら,オペラ,ミュージカル,ポピュラーなど広範なジャンルの歌曲を歌う。

原題名

The Human Instrument(SCIENTIFIC AMERICAN January 2008)

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