日経サイエンス  2007年9月号

宇宙誕生の謎解きに挑む 私が見た素粒子宇宙論の歩み

佐藤勝彦(東京大学)

 カイザーの「素粒子宇宙論の誕生」は,ブランス=ディッケ場とヒッグス場という理論的に提唱された2つのスカラ-場がぶつかり合うなかで素粒子的宇宙論が生まれたのだとする解説である。長年この分野で研究してきた一人の研究者として,カイザーの解説と相補うように,日本や世界の素粒子的宇宙論の歴史を振り返ってみたい。

 

 日本やヨーロッパでは,素粒子論と宇宙論はむしろ緊密な関係のもとに発展した。林忠四郎(はやし・ちゅうしろう,現京都大学名誉教授)による先駆的研究に始まり,世界をリードする成果を上げてきた。

 

 ガモフ(George Gamow)は1946年,現在の宇宙に存在する元素の起源を説明するためにビッグバン理論を提唱した。彼は初期宇宙に存在したのは中性子のみだったと単純化し,中性子やその崩壊で生じる陽子との反応を通じて次第に大きな原子核が合成されていくと考えた。これに対し林は1950年,膨張する熱い火の玉の中での陽子,中性子,電子,ニュートリノの反応を実際に計算し,元素合成が始まる時点での陽子と中性子の存在比を求めた。このように,世界に先駆けて素粒子的宇宙論の分野を創始したのは林である。

 

 日本から発信されたすばらしい成果は,宇宙のバリオン数の非対称性を大統一理論の予言するバリオン数非保存反応とCP対称性の破れで説明しようとする,1978年の吉村太彦(よしむら・もとひこ,現岡山大学教授)氏の研究である。具体的に大統一理論から宇宙のバリオン数非対称の説明がつくことを示したインパクトは極めて大きいものだった。

 

 今日ではバリオン数非対称がレプトンを経由して生じるという「レプトジェネシス」が有力だが,これは福来正孝(ふくぎた・まさたか,現東京大学教授)と柳田勉(やなぎだ・つとむ,同)の両氏によって1986年に提唱されたものであり,日本は大きくこの分野をリードしている。

 

 私が宇宙の相転移の研究の中から,初期宇宙が指数関数的に膨張する時期がありうることに気づいたのは1979年の春で,論文を投稿したり国際会議で発表したりしたのは1980年2月である。グース(Alan H. Guth)も同じ時期これに気づき,論文はこの年の8月に投稿している。世界的に見ても,インフレーション理論にはロシアのスタロビンスキー(A. Starobinski)などの研究者が,その理解はさまざまであるが,いろんなレベルで気づいていた。

 

 宇宙論は観測主導の時代に入つたとはいえ,素粒子的宇宙論の時代が終わったわけではない。超ひも理論の中から,私たちの住む宇宙は10次元空間に浮かぶ“膜”だとするブレーン宇宙論も提唱され,新たな展開の時代となっている。暗黒エネルギーの正体をブレーン宇宙論で解決しようという野心的試みも進められている。

 

 観測的宇宙論との強い連携のもとに,素粒子的宇宙論はいま大きく躍進しようとしている。

著者

佐藤勝彦(さとう・かつひこ)

東京大学大学院理学系研究科教授。専門は宇宙論,宇宙物理学。インフレーション理論の提唱者の1人として世界的に知られる。京都大学在学中に林忠四郎に師事した。東京大学ビッグバン宇宙国際研究センター長,東京大学理学部長,日本物理学会会長(2005年)などを歴任。本誌への寄稿も多い。公式ホームページはhttp://utapen4.phys.s.u-tokyo.ac.jp/~sato/

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