日経サイエンス  2006年1月号

創始者変異でたどる人類の足跡

D. ドレイナ(米国立聴覚・コミュニケーション障害研究所)

 米国内の数千kmも離れた場所で生活し,いままで1度も会ったことのない2人の中年男性には,ある共通点があった。鉄分を非常によく吸収する体質だという点だ。これは一見よいことのように思えるが,実際には健康上のトラブルを招く。ときには多臓器障害につながり,死に至ることもある。「遺伝性ヘモクロマトーシス」と呼ばれるこの病気にかかっている人は,父親と母親の両方から同じタイプの突然変異遺伝子を受け継いでいることが多い。その突然変異の起源はひとりのヨーロッパ人にさかのぼることができる。

 

 大昔,その人のある遺伝子に変異が起こった。その突然変異は長い時を経て,ヨーロッパのさまざまな国の子孫へと広がっていった。現在では約2200万人の米国人が,その遺伝子を少なくとも1つはもっているとされている。冒頭で紹介した2人の男性もそうで,自分たちが遠い親戚関係にあると知ったら,彼らはきっと驚くだろう。この遺伝子の起源となった大昔の先祖のことをこの子孫集団の「創始者」といい,創始者で生じた遺伝子の突然変異を「創始者変異」と呼ぶ。

 

 ヒトで疾患を引き起こす突然変異は何千個も見つかっているが,創始者変異はその中でも特殊だ。遺伝性疾患の患者の多くは自身が子どもをつくる前に亡くなるため,突然変異遺伝子はあとの世代に伝わりにくい。しかし創始者変異の場合,保因者は生き延びることが多く,創始者から子孫へと広がっていく。創始者変異に起因する病気には,前述の遺伝性ヘモクロマトーシスのほかにも,鎌状赤血球貧血症や嚢胞性線維症など,比較的患者数の多い病気も含まれる。いかにも有害なこのような突然変異を,なぜ進化は排除せずに,保存してきたのだろうか?その自然の論理についてはあとで説明する。

 

 こうした病気のリスクをかかえる患者を簡単に見つけ出そうと,疾患突然変異の研究が進められている。新しい予防法や治療法が見つかる可能性もある。しかし,こうした突然変異をめぐる研究から驚くべき副産物も生まれている。創始者変異はヒトが時の流れの中に残してきた足跡をたどるための強力な武器となることがわかったのだ。これを人類学の研究に利用することで,ヒト集団の歴史と移動のようすを調べることができる。

 

 

再録:別冊日経サイエンス194「化石とゲノムで探る 人類の起源と拡散」

著者

Dennis Drayna

1975年にウィスコンシン大学マディソン校から学士号を,1981年にハーバード大学からPh.D.を授与される。ユタ大学ハワード・ヒューズ医学研究所にポスドク研究員として勤めた後,サンフランシスコ湾岸地区のバイオテクノロジー企業で14年間働き,その間に,心臓血管疾患や代謝異常にかかわるいくつかのヒト遺伝子を突き止めた。1996年に米国立衛生研究所(NIH)に移り,現在は米国立聴覚・コミュニケーション障害研究所の部門チーフとして活躍している。おもな研究テーマは,ヒトのコミュニケーション障害に関する遺伝学で,この研究のために4つの大陸の8カ国を訪れ,このような障害をもつ家系を調査してきた。余暇にはロッククライミングとアイスクライミングを楽しみ,研究と同様,趣味でも世界を股にかけている。

原題名

Founder Mutations(SCIENTIFIC AMERICAN October 2005)

サイト内の関連記事を読む

キーワードをGoogleで検索する

ハプロタイプ創始者効果遺伝性疾患鎌状赤血球貧血症平衡淘汰