日経サイエンス  2004年12月号

特集:アインシュタイン「奇跡の年」から100年

Einstein=Man of Conscience² 良心の人アインシュタイン

オマージュ

SCIENTIFICAMERICAN編集部

もじゃもじゃの髪,長い口ひげ,賢そうな目,そして頭の横に“吹き出し”を描いて方程式を詰め込んだら,世界中の誰もが「ああ,彼だ」と気づいてくれるはずだ。大きな耳を2つ描いたらミッキーマウス,風にたなびくマントを描いたらそれだけでスーパーマンだとわかってもらえるように。
E=mc2は科学の世界で最も有名な方程式の1つであるだけでなく,おそらくシェークスピアのどんな一節よりも人口に膾炙したフレーズとなった。20世紀の傑出した人物のリストを作るとしたら,アインシュタインを外すわけにはいかない。20世紀は,そしていまの私たちの時代も,彼とその影響抜きには想像できないからだ。相対性理論と量子論,分子論に関する彼の画期的な論文が世に出た1905年から1世紀を経た現在もなお,アインシュタインの心をとらえたこれらの問題は科学の最前線にとどまり続けている。
空間が曲がり時間が伸びることを示した人物が科学の巨人となったのは,少しも驚くに当たらない。しかし,アインシュタインは彼と同時代に生きた物理学者たちよりもずっと大きな名声を獲得した。ボーアやプランク,ディラック,シュレーディンガーも同じく才気あふれる科学者だったのに,いったいなぜだろうか。それは,一般人が彼に対して単なる賞賛を超えた思いを抱いていたからに違いない。
人々はアインシュタインを愛したのだ。天才科学者というと“常軌を逸したおじさん”を思い浮かべるかもしれないが,彼はそんなイメージとはほど遠く,むしろ魅力的な科学者の典型となった。放射能に対する恐怖が高まった1950年代,核物理学の“マッドサイエンティスト”たちが傲慢で無思慮な野望を抱いているのではないかと人々が危惧をつのらせた時期にあっても,ことアインシュタインについては,そのような心配は無用だった。
これは単に彼の知的業績から来たものではない。人々は彼に共感を抱いた。彼が健全な政治的目的を達成しようと,自身の名声を慎み深く,しかし力強く行使したのが1つの理由だろう。
彼が政治に関与したのは権力を求めたからではなく,歴史上最も忌まわしい兵器の開発に不本意ながら力を貸すことになった者としてその責任を果たし,間違ったことを正そうとする衷心からの思いによる。
第一次世界大戦の流血が,彼を軍国主義に対する「ものいわぬ批判者」から「抗議する者」へと変えたといわれる。重力によって光が屈曲するという彼の理論通りの結果が1919年の皆既日食で観測されると,アインシュタインは国際的に高まった名声をすかさず活用して政治的諸問題について発言し,世界政府の実現を支援した。
1939年には物理学者のシラードとともにルーズベルト大統領あてに書簡を送った。これがマンハッタン計画の契機となり,米国は原子爆弾開発でナチスと競うことになる。しかし,広島への原爆投下の後,アインシュタインはこう述べている。「彼らがこんなことをするとわかっていたら,私は靴職人になっていただろう!」
アインシュタインの政治的活動に対する反応はさまざまだった。1952年,イスラエルは彼に大統領就任を要請した。一方,FBIのフーバー長官はアインシュタインが煽動家であると考え,敵対人物リストに掲げた。
もしアインシュタインがいまも生きていたら,間違いなく義憤に駆られることだろう。怒りの原因はいまも尽きない。彼はシオニストではあったが,ユダヤ人はアラブ人と平和に暮らさなくてはならないと主張し続けた。また,米国によるイラク侵攻には反対したはずだ。彼は一国行動主義に基づく軍事行動には断固反対だったから,彼を迎え入れた米国という国がそうした行為に出たことを嘆くに違いない。

現在では,著名な研究者が環境政策やミサイル防衛などの問題に関して発言すると,「科学と政治を結びつけるべきではない」と批判される場合がままある。しかし,科学者には自らの研究内容を,その政治的意味を含めて説明する道徳的責任があることをアインシュタインは知っていた。そうしなければ,「科学には何の意味もない」というに等しいのだ。

 

 

再録:別冊日経サイエンス148 「物理を創ったアインシュタインと天才たち」

原題名

Einstein=Man of Conscience2(SCIENTIFIC AMERICAN September 2004)

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