日経サイエンス  2003年11月号

特集1:RNA干渉

日本でも進む新薬開発への応用

中島林彦(日本経済新聞つくば支局長)

 日本でもRNA干渉を利用した創薬の基礎研究が進んでいる。例えば武田薬品工業は2月,すい臓細胞の表面にあるGPR40というタンパク質が,インスリン分泌に重要な役割を果たすことをRNA干渉を利用して突き止めたと発表した。糖尿病治療薬の有力な手がかりになると期待されている。
 RNA干渉を事業の中核としたベンチャーも誕生,製薬企業と共同で遺伝子の機能解析や未知の有望遺伝子の探索,治療薬の開発などに取り組んでいる。最も目立つ活動をしているのは,茨城県つくば市にある久光製薬の研究施設内に本拠を置くジェノファンクション。久光製薬の遺伝子研究部門が分離して2年前の春に発足した社員10人ほどの会社だ。
 同社の強みはRNA干渉を細胞内で長期間安定して起こし続ける技術を持っていること。特定の遺伝子の働きを抑える二重鎖の短い阻害RNA(siRNA)を作る合成遺伝子をベクター(この場合は無害化したウイルス)に乗せて細胞に感染させると,その合成遺伝子は細胞内の核に入り込んでsiRNAを継続的に生産し始める。各種の細胞に幅広く導入でき,導入効率が高い。
 このsiRNA発現ベクターは東京大学の多比良和誠(たいら・かずなり)教授が考案,同社が昨春,東大の技術移転機関(TLO)から独占使用権を得た。社内でさらに磨きをかけ,昨夏以降,受託研究の営業を始めた。
 「ある遺伝子の働きを止めようと従来技術で1年かかって試みても難しかったのが2週間でできた。何度試みてもだめだった疾患モデルマウスも作れた」と野沢厳(のざわ・いわお)社長は威力を話す。
 すでに藤沢薬品工業とエーザイのほか複数の大手製薬企業から研究を受託している。最近では米国立衛生研究所(NIH)や,哺乳動物でRNA干渉を起こすことに成功した米ロックフェラー大学のトゥッシュル(Thomas Tuschl)博士らと共同研究を始めた。日本のベンチャーがNIHと共同研究契約を結ぶのはあまり例がない。
 
威力を発揮する有用遺伝子の探索
 ジェノファンクションは相手先の企業や研究機関が持っている機能が未解明の遺伝子の提供を受け,その遺伝子の働きを止める細胞や実験動物をRNA干渉技術を使って作る。それらが正常な細胞や動物とどんな具合に違うかを詳しく調べることで,遺伝子の機能を解明する。難病に関係する遺伝子だとわかれば,新薬開発につながる有力な手がかりになる。
 ヒトゲノム解読終了を受け,製薬企業の間では,ガンや糖尿病などの難病関係遺伝子の研究競争が過熱している。RNA干渉を使って未知の遺伝子の機能解明を迅速にすれば,他社を出し抜ける可能性が高まる。
 同社はもう1つ有力な研究資源を持っている。ヒトゲノムは約30億塩基対,マウスゲノムは約25億塩基対あるが,同社は,それらを21個ずつ区切って切断した数億個の断片をそれぞれ組み込んだsiRNA発現ベクターのセット(ライブラリーという)を開発,供給体制を整えている。
 siRNA発現ベクターライブラリーは,各種の病因遺伝子を効率よく探し出すのに使う。例えば,ガン細胞を多数用意しておき,このライブラリーを使ってRNA干渉を起こすと,ガン細胞の増殖が止まるケースが出てくる。どんな塩基配列のゲノム断片が,こうした変化を起こしたかわかるので,それを手がかりにゲノムデータベースを探索すれば,ガン増殖を抑制する遺伝子が浮かび上がる。
 同社はこのライブラリーを国内の大学などに無償提供し,共同で各種の疾患関連遺伝子の探索に乗り出した。7月からインターネットを使って参加研究機関の募集を始めている。募集する疾患のテーマは月替わりで,7月はガン,8月は再生医療につながる細胞の分化誘導,9月はアルツハイマー病やパーキンソン病などに代表される神経疾患だ。
 7月と8月の募集の結果,「北は北海道から南は九州まで20以上の大学の研究グループと共同研究することが決まった」と同社の山口眞悟(やまぐち・しんご)取締役は話す。今後も糖尿病や高血圧などの各種疾患の遺伝子探索の募集を続ける計画だ。
 つくば市ではもう1つ,RNA干渉を事業の核としたベンチャーが本格的に動き出そうとしている。今年3月に多比良東大教授とガンやエイズの研究で知られる米シティ・オブ・ホープ研究所のロッシ(John Rossi)教授らが共同で設立したiGENE(アイジーン)だ。多比良教授は産業技術総合研究所のジーンファンクション研究センター長も兼務する関係から,アイジーンの拠点は産総研の研究施設内にあり,事業は産総研の支援を受けている。
 同社はsiRNA発現ベクターのほかに高品質のsiRNAそのものの量産に取り組もうとしている。場合によっては,ベクターを使った遺伝子組み換えで長期的にRNA干渉を起こさなくても,siRNAを適切に細胞に投与し続ければ,遺伝子の機能解明などができるとされるからだ。

 

安くて高品質のsiRNA
 siRNAは化学合成が一般的だが,製造コストが比較的高い。現状では,二本鎖の形成が不完全なので,細胞によっては導入効率が低く,RNA干渉の持続期間が約2日と短いなどの問題点がある。そこで同社は酵素を用いた安価な生化学的手法で完全な二本鎖のsiRNAを合成,高純度で持続期間がより長いタイプを供給する計画だ。
 siRNAをビジネスとして考える場合,コストや持続期間以外に重要になるのは効果。siRNAは標的とする遺伝子の長大な塩基配列から約20塩基分を切り出して利用するが,どの部分を使うかによってRNA干渉による遺伝子の働きを抑制する効果がかなり違うことがわかっている。アイジーンは東大の研究グループの成果をもとに,遺伝子のどの部分を切り出してsiRNAとして使えばよいかを推定するアルゴリズムを開発,これを1つの売り物にしようとしている。
 最近,siRNAは狙った遺伝子のほかに,その遺伝子と塩基配列が似た別の遺伝子の働きを抑制するケースがあることもわかってきた。そこで同社はより選択性が高いsiRNAを作る研究も進めている。
 三菱化学系のベンチャー,ジェンコムも三菱化学生命科学研究所(東京都町田市)内に拠点を置いてRNA干渉を利用した疾患モデルマウスの事業化に取り組んでいる。三共はベンチャーとは組まずに自社内でRNA干渉を新規有用遺伝子の探索に使っている。

 

C型肝炎やアルツハイマー病の治療薬にも
 RNA干渉の応用は当面,新薬開発につながる新規有用遺伝子の探索や遺伝子の機能解明などが中心になるとみられるが,より大きな市場として期待されるのはsiRNAの難病治療薬としての応用だ。HIVやC型肝炎などのウイルス疾患ではウイルスの遺伝子の断片をsiRNAとして投与すれば,原理的にはRNA干渉でウイルスの働きを抑え込める。同様にガンの増殖をつかさどる遺伝子の働きを抑え込むこともできる可能性がある。
 細胞実験レベルでの基礎的な研究成果は上がっている。例えば東京医科歯科大学の水沢英洋(みずさわ・ひでひろ)教授と横田隆徳(よこた・たかのり)講師らは,C型肝炎ウイルスの増殖を1週間以上,ほぼ完全に抑え続けることに成功。アルツハイマー病や筋萎縮性側索硬化症(ALS)に関係の深い遺伝子の発現を抑え込めた。
 ただ,遺伝子の探索や機能解明に試薬として使う場合と違って,治療薬では安全性や副作用の程度を十分検討する必要がある。患部にうまく送り届ける手法の開発も重要だ。通常の新薬開発と同様,動物実験などの地道な積み重ねが前提となる。